1月30日放送の「松山千春 ON THE RADIO」

 

番組中盤から、デビューする際に、恩師・竹田健二さんと交わした「約束」について、あらためて語っていた(以下)。その「約束」に関連することをその下に記載した。

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(32:47~)


1月25日(放送)のSTV開局60周年、ねぇ、で俺が歌って45年、過ぎたということでね。特別番組を作っていただいて。喜瀬(ひろし)さんというね、ほんとにプロのアナウンサーですよね。もともとはSTVでアナウンサーをしておられた方で。

 

変な話、そのフォーク音楽祭、アマチュアとして自分が、まぁ、出場したんだけど、その時の司会が喜瀬さん、ということで。正直言ってよ、このSTVにさ、デビュー前、いわゆるアマチュアの松山千春を知ってるのは、今、喜瀬さんぐらいじゃないか?あと、この番組のディレクターを担当しているコナカデ?シンドン(氏名正式表記不明)。なんかシンドン、お前いたもんな。

 

俺、アマチュアで竹田さんに言われてさぁ。「ひとり唄」のコーナーなんか持たされてね、やってる時にね。お前、ちょろちょろしてたよな。だからね、シンドンは今でもこうやってね、番組ずっと付き合ってくれてるから。え~、シンドンが一番あれかなぁ?歳ちょっと上なんで、コナカデさんってね、ほんとは言わなきゃいけないんですけどね。あの頃はアマチュア、面白かったもんなぁ。もう毎晩毎晩、すすきの、出てはねぇ~、まだ酒を飲んでた頃ですからねぇ。

俺が酒をやめたのは、その、昭和52年、1977年1月25日、「旅立ち」でデビュー、っていう時に、竹田さんが、“千春、酒、煙草、女、どれかひとつをやめなさい。そうしないとね、プロとしての自律心が足りないことになるから”って言われてさ。竹田さんと、酒、煙草、女…。煙草はこれ、やめられそうにないし、女は…これ俺は嫌だって言っても女がすがってくるからな。じゃあ、やっぱり酒かなぁ?“じゃ、竹田さん、俺、酒、やめますよ”とお約束して、まあその8月27日に竹田さん、亡くなってしまったから。約束は今も続いています。あれ以来酒は一滴も、飲んでおりません。

 

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この竹田さんとの「約束」について、松山千春自伝「足寄より」には以下の数行の記載があるのみ。

 

 竹田さんが俺のスケジュールを仕切るわけ。竹田さんに連れられて、名古屋、九州にキャンペーンに行ったこともある。

「遊びはほどほどにして、ひかえろよ」

「女はだめだぞ、声を吸(す)われるからな」

 俺を見ると、忠告というかアドバイスというか、飛んでくる。

(同書156㌻)

 

富澤一誠「松山千春-さすらいの青春」(1979年刊)には、確認した限りでは「約束」に関する松山千春の証言は掲載されていない。

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「松山千春 ON THE RADIO」、近いところでは2019年8月25日放送の際に語っている。

 

(竹田健二さんが)プロは自分を律しなくてはいけない。酒、たばこ、女、どれかひとつやめてくれ。で、竹田さん、約束しましょう。酒を止ますから。それが1977年の1月。その8月に竹田さんが亡くなる。つらいよなぁ。約束した相手が他界してしまった。
きっと天国から見ている。今でも酒は一切手をつけず。

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ライブでのトークという点は、映像作品としてリリースされている2006年デビュー30周年記念コンサート「再生」の中で「約束」を語っている。

 

松山千春がだいたいいつ頃からこの3つの選択肢から1つを選んだ「約束」を語り始めたか記憶が定かではない。ただ酒という日常的に身近にあるものを見るたびに、そういう場に行くたびに竹田さんを思い出しているのであろう。

 

あえて一ファンの立場で言えば、約束した禁止事項が酒ではなくて、煙草であって欲しかった。

 

「旅立ち」

松山千春コンサート・ツアー2021「敢然・漠然・茫然」 

11/18(木)・19(金)東京国際フォーラム