<2024.01.04>公式音源3本挿入

<2022.01.14>

 

 

久しぶりに車中で聴く松山千春アルバム『叫び』、1997年8月30日リリース。

そんなに経った気がしないが、もう25年も前に出されている。

 

 

その7曲目の「この一日」。歳をとるとこれまで以上にこういう歌詞の世界がすっきり入ってくるのかもしれない。

 

これまで以上に、家族が、自分と縁する人々が、日本中、世界中の人々の日々が無事安穏であるよう心から願うようになってきたのもまた年齢を重ねた故もあるだろう。

 

平凡な一日の繰り返しを望む一方で、何もない人生などあり得ないことも、年齢と経験を重ねてより実感している。いつも何か課題や悩みがある、それが人生。

 

その人生の中で「平凡なこの一日」を送るためには、抽象的だが、懐の深い自分を作り上げる、人間としての自分の器を大きくしていくことに尽きると思っている。

 

様々な経験を通して、日々起こりくることの意味を変え、何が起こってもびくともしない不動の自分を作り上げれば、それはまた何が起こっても、平凡で安穏な日々となる。本当の意味での平凡や安穏はむしろそこにあると信じている。

 

「この一日」 

 

穏やかな日差し 体中浴びて
心地よい気分 何も言うことはない


のんびりと生きたい あわてず騒がずに
平凡なこの一日が 何よりも愛しい

目を閉じてみると 波の音かすか
かもめ鳥鳴く声に かき消される事なく


大それた事など 望む気はありません
願うのは この一日がくり返される事


のんびりと生きたい あわてず騒がずに
平凡なこの一日が 何よりも愛しい

 

 

この歌を聴くと、松山千春にとっての「夢」をいつも思う。松山千春が自分の歌の中で無数と言っていいほど使っている「夢」ってなんだろう…。

 

 

 

2006年6月17日。千葉県幕張メッセ。松山千春デビュー30周年記念コンサートツアー初日。
それまでの私のライブ参加歴の中で一番の前方席。すぐそこで松山千春が弾き語りで歌っている、幸せな空間、時間だった。

映像にも残っているが、このライブのトークの中で、自身の「夢」について語った。

「デビュー当時、”松山さんの夢はなんですか?”とよく記者に聞かれた。しかし、俺はそれにはほとんど答えていないんだ。あの足寄の田舎から出てきた貧乏人の俺が、今こうやって歌って、たくさんのみんなが聞いてくれる。これが夢でなくてなんだんだ」(趣旨)

松山千春らしいトーク、この内容自体にはインパクトがあったし素直に感動した。

 

しかし、”松山さんの夢はなんですか?”という問いの直接的な答えにはなっていない面がある。あれだけ多く「夢」を使えば、記者のような質問をしたくなるのは自然である。



1982年7月24日の札幌真駒内5万人ライブで「いつかこの北海道とサシで勝負出来るぐらいの大きな男になりたい。それが夢だからね」と語った。

「夢」を「夢」と歌い、その夢の具体的な内容を歌うことは少ないが、松山千春の歌詞に出て来る「夢」の多くは当然、願い、希望、将来にわたって叶えたいこと、という意味で使っているのだと思う。

1982年、アルバム『大いなる愛よ夢よ』が出た中学3年の時、「北海道の大空に描く松山千春の大いなる夢ってなんだろう?」と真剣に考えた。

 

あれから15年
 
「大それた事など 望む気はありません 

願うのは この一日がくり返される事」 


「のんびりと生きたい あわてず騒がずに 

平凡なこの一日が 何よりも愛しい」 
 

1997年に「この一日」を聴いた時、「自他ともに、温かな日差しに包まれ、平穏無事に毎日を過ごし、それがずっと続くこと、繰り返されること」―松山千春が歌う「夢」とはこのことかな?と思った。

 

その後、2000年に「僕は君になれない」がリリースされ

 

「僕は願う明日を 君も願う明日を
どうか穏やかな日が 幾日も幾日も
これを夢と掲げる 高く高く掲げる」

 

 

と歌った。

 

2001年には「です。」がリリースされ、

 

「何もない事が 幸せなのです
見送る日々があり 忘れえぬ日があり」


「たわいない事が 大切なのです
何気ないことが 特別なのです
とぎれない事が 安らぎなのです」

 

 

と歌った。

 

私の思い込みの部分もあるとは思うが、いずれもアルバム『起承転結9』に収録されているこの2曲を聴いて、松山千春の「夢」ってそういうことなんだろうなと思った。

 

それは松山千春の人生観の一端と言えるであろうし、この3曲にそれが端的に表れていると今も思っている。