三浦知良さんが日経新聞で連載し、三浦知良さんのオフィシャルサイトともリンクしているコラム「サッカー人として」。12月3日には「顧みるのも悔しい一年、」と題して掲載されていた。
リーグ戦は1試合、残り1分の出場のみ。チームで公式戦の先発が1回もない今季を振り返り、悔しさではらわたが煮えくり返っている。理屈を超えて悔しさがコラム全編からストレートに伝わる。
しかしそこで心折れてふさぎ込む男ではない。
「悔しさで煮えたぎっているくらいだから、あいにくここでしぼむつもりはさらさらない」
「2022年の素晴らしい自分へ、次へめがけて駆け出していく」
「厳しい現実がある。そんなもの、なにくそと思う」
私より1歳上の同世代。
不撓不屈の精神力、挑戦の気骨は見上げたものである。読んでいるこちらも力が漲ってくる。
カズ、頑張れよ!
(関連情報)12月10日東スポ
キング三浦知良〝争奪戦〟の行方 実父は「試合に出られるところが最優先」と胸中を代弁
“サッカー人として” 日本経済新聞 2021年12月3日(金)掲載
顧みるのも悔しい一年、
リーグ戦も残り1試合となり、1年を振り返るころを迎えているけれども、僕にはシーズンを送ったという実感がそもそも、ない。
リーグ戦は1試合、残り1分の出場のみ。チームで公式戦の先発が1回もないのは僕ぐらいだろう。降格していくチームの助けになれず、協力もできず、自分を使えばプラスになると監督に思わせることもできなかった。誰に向けてでもなく、自分に対する悔しさと屈辱感、情けなさしかなく、チームのことを振り返る気になれない。その資格もない。
春先にケガを抱えながらの一昨年や昨年とは違い、今年は練習にほぼ皆勤して練習試合にもすべて出た。オーバーワークや詰め込みすぎに気を配りつつ、体幹や持久系などのトレーニングは必要に応じて継続的に織り込む工夫をした。チームの輪の中で毎日走れて、戦えたし、今週こそはチャンスがくると思い続けてやってきた。
けれども練習のために練習しているわけじゃない。そりゃあ精神は鍛えられて我慢強くもなれるけれど、試合という形で報われないなら割に合わない。こうして気持ちが切れていき、選手は一線から身を引こうという心境になるんだろう。
似た境遇の同僚がいる。最終節、2人してベンチに入れなかったら互いに殴り合おうと請け合った。「カズさん、スタッフの胸ぐらつかみたいです」「それはやめろ。殴るなら俺を殴れ。俺もお前を殴るから、互いに痛みを分け合おう」
持っていく場のない、マグマのような思い。とはいえパンチだと歯が折れかねないから、ビンタにしておくことにした。冗談抜きでそれくらい悔しいんだ。
頭と心は来季へと動き出している。今月から1次キャンプを敢行。数えたら今季終了から休みは8日ほどしかない。でもオフの前に一度キャンプをして、1週休んでまたキャンプ、というのが僕のあるべきリズムなので。
悔しさで煮えたぎっているくらいだから、あいにくここでしぼむつもりはさらさらない。どこでプレーするにせよ、2022年の素晴らしい自分へ、次へめがけて駆け出していく。
厳しい現実がある。そんなもの、なにくそと思う。でないとプロなんてやっていられない。年の瀬、僕の顔は腫れているかもしれません。もし歯も欠けていたら、そういうことです。