<2023.08.09>再掲
<2023.08.08>公式音源挿入

<2021.11.04記事>

 

松山千春「自分らしく」

 

1990年11月10日にリリースされた松山千春20枚目のオリジナルアルバム『男達の唄』10曲目に収録されている。

ライブでの一番近いところでは2016年10月7日、デビュー40周年記念コンサート・ツアー「松山千春の系譜」、府中の森芸術劇場で久しぶりに聴いて本当に感動した。

 

 

かわいそうな奴と 声をかけられるより 
頼りない奴と どうぞ笑っておくれ


運の悪い奴と 情け かけられるより
出来の悪い奴と どうぞ見下げておくれ


曲りくねった道を 歩き疲れても
いつも自分らしく 生きていたいから

 

夢を掲げながら 夢に酔いしれていく
愛を歌いながら 愛にとり残される


曲りくねった道を 歩き疲れても
いつも自分らしく 生きていたいから


時は流れ やがて 君も年老いてゆき
「俺の若い頃は…」 
なんて口にするだろう


曲りくねった道を 歩き疲れても
いつも自分らしく 生きていたいから


曲りくねった道を 歩き疲れても
自分らしく 生きていたいから

 

 

あくまで私のこの歌の受け止め方としては、松山千春の全盛期が過ぎ数年が経ち、要するに売れなくなって、松山千春はそれを捉えきれたような、捉えきれないような、そんな時代の心境を歌った、当時の名曲だと思っている。


どんな状況に置かれても自分らしく生きていたい、その願望を歌っているのだろう。

”自分らしく生きている”と自分で分かることほど、不自然で自分らしくないことはないだろう。”自分らしく生きている”時それとは分からない。

 

何らかの苦境、不本意な境遇、悔しさ…そうした環境下に置かれ、深く悩み落ち込む。その時、自分とは何なのか、自分はどう生きたいのか、考えをめぐらす。その過程で自分を責めることだってある。そしてその時初めて”自分らしく生きたい”と心から思う。

必ず今の苦境を脱してみせる―その決意で踏み出し始めた時、一面では”自分らしさ”に繋がっていくように思う。 

『古今著聞集』(1254年成立/「草木」の項)には「春は櫻梅桃李の花あり」という記録があるとおり、古来「櫻梅桃李」(おうばいとうり)という言葉が生き続けている。

 

従来様々な解釈がなされて来ているが、桜は櫻、梅は梅、桃は桃、李は李。皆それぞれの個性があり、それぞれの花を咲かせる。上下貴賎はない。比較して優劣をつけられるものでもない。それぞれの姿のまま、まさに”自分らしさ”を説いた言葉である―と私自身は解釈している。

 

「櫻梅桃李」の四種類の個性は、ひとつは咲く時期に現れる。春という大括りの中ではあるが、それぞれ咲く時期が違う。それが個性であり、それぞれ大成する時が違うということ。桃が梅の花咲く時期や花そのものを羨んでも仕方ない。人と自分を比べて一喜一憂することほど意味のないことはない。

他の花は咲いた。でも自分はまだ咲く気配さえない。焦るのか、腐るのか―花が咲くことは間違いない。必ず咲く。その咲く時をじっと待つ心。淡々と為すべきことを為す営み。

たよりないほど弱い心に

くり返すのは昨日でなく
きっとこのまま歩いていけば

望む明日にたどり着ける

(松山千春「春夏秋冬」/1987年)
 
何があってもじっと耐えて、いい意味で受け流すことを覚えながら、自分が決めた道を歩き続けること。それこそが”自分らしさ”だと思っている。