「宿命」を生きる若者たち
格差と幸福をつなぐもの
土井隆義/2019年6月5日/岩波ブックレット№1001

 


 近年、若者たちを取り巻く社会環境は悪化の一途をたどっている。格差の拡大や貧困が深刻化し、それらに起因するいじめや児童虐待も目立つようになっている。


 その一方で、各種の意識調査では若年層における幸福感や生活満足度は高まっているという結果が出ている。この相反する現象の理由はどこにあるのか。本書では「宿命」をキーワードに、若者の考え方、ものの見方の本質を考察する。

 

 ここで言う「宿命」とは、おそらく四十代から上の世代の人たちにとっては「自分の人生を縛り、不自由なものにする桎梏と捉えている場合が多い」(同書3㌻)「宿命」ではなく、現在三十代から下の世代の人たちにとっての「自分の人生の基盤となり、そこに安定感を与えてくれるものと捉えられるようになっている」(同)「宿命」のこととしている。なぜ「宿命」観に対照的な違いが出るのか。


  「宿命」の捉え方は、社会が発展途上の段階なのか、成長期を終え成熟期に入っている段階なのか、また、社会を地縁・血縁が支配していた時代や、それらが弱まり、ネットが発達した時代など、それぞれが生きる社会・時代背景と密接に絡み合っている。


 本書の主張には異論、反論もあるかもしれないが、”現代”という時代と、そこに生きる若者の気質、考え方、ものの見方を検証し、把握するうえでとても有益な一書。

 ちなみにOfficial髭男dism の「宿命」という歌では

 

「宿命ってやつを燃やして 暴れ出すだけなんだ」

「ただ宿命ってやつをかざして 立ち向かうだけなんだ」

と歌う。

 

 この歌詞、私の解釈からすると、「宿命」というものを自身のエネルギーに換えて、それを打ち破り転換するために挑戦して生きるんだと、上記で言えば四十代以上の世代に近い「宿命」の捉え方をしているように思う。

 

Official髭男dism - 宿命[Official Video]


 著者の土井隆義氏は今年10月14日の朝日新聞の(耕論)で、根本的にはこの書と同じ主張を展開している。若者を中心に浸透している「親は選べず、親次第で人生が決まってしまう」-そんな人生観を表す言葉「親ガチャ」を巡り、ネット上などで論争がわき起こっている。その「親ガチャ」について土井氏が述べた見解である。以下少々長いが、土井氏の見解を全文引用した。
 

 ■実は親でなく社会の問題 土井隆義さん(社会学者)
 親ガチャを巡っては、「自分の努力不足を親のせいにするな」という中高年に対し、若い世代は「分かっていない」と反発しています。
 私は、世代間の認識ギャップとして、この問題を理解する必要があると思います。
 まず努力の認識が世代によって違います。日本経済が大きく成長していた1990年代までを体感した中高年は、進学・就職・昇進などで自分のなした努力以上のリターンを得ることができた。一方、30代以下は経済成長率が1%台の世界を生きてきた世代です。努力しても、そのリターンは小さなものになっている。「人生は努力する価値がある」と言われても、「努力して成果があるのか」と疑念が先に立ってしまうのです。
 親ガチャという言葉のイメージのギャップもあります。子どもに「親ガチャに外れた」と言われたら、親は子育ての責任を非難されたと感じて不愉快でしょう。でも、多くの若い人は責任追及のつもりでは使っていません。ガチャの元々の意味と同じで、運と諦観(ていかん)しているにすぎない。クジに外れたからと、「クジの責任だ!」とは言わない。淡々と受け入れるだけです。
 ただ、双六(すごろく)ゲームのようにこれからの人生が運によって決まるのではなく、生まれついた属性によって既に規定されていると感じている点で、宿命論的と言えます。右肩上がりの経済成長がほとんどない、平原のような社会を歩んできた若年層にとっては、特異な人生観ではありません。
 「親ガチャに外れた」と言う言葉を、会話の潤滑油として使う人もいれば、児童虐待に苦しむ人が深刻に使うケースもあります。本当に不幸だと認識しているかどうかは、ケース・バイ・ケースです。
 断絶は世代間だけでなく、世代内にも存在します。経済的に豊かな家庭に育った若者と、そうでない若者との関係の分断から来る断絶です。前者は、中高年と同じく「自分の努力不足を親のせいにするな」と、親ガチャが「外れた」という若者を批判しがちです。でも、努力しようという意欲もまた環境によって育まれる面があることを見落としてはなりません。
 私は、親ガチャという言葉で自分の境遇を憂える若者にも、認識上の錯誤があると考えます。格差は私たちが作る社会制度によって解消されるべきものだからです。社会の問題を、個々の家庭の問題にすり替えてはいけません。
 若者自身も、この状況を改善するため、社会に対して声を上げてほしいと思います。すぐに出来ることは、やはり選挙で投票に行くことでしょう。自分の1票が社会を変えうる、とは考えにくいかもしれない。しかし投票は、自分の声を社会に届ける最も手近なチャンスのはずです。(聞き手・稲垣直人)