<2021.10.2一部編集、再掲>
<2018.9.24記事>
さて、ご存知のとおりYouTubeのトップ画面には「あなたへのおすすめ」映像がたくさん出てくる。
私の場合、松山千春、長渕剛、浜田省吾、ギター、英会話、空手、柔道、プロレス…。偏っていると言えば偏っているものばかりだが、ともあれ、これもGoogleのアルゴリズムによって映し出された私の趣味嗜好なのだろう。フィルター・バブルにしっかり包まれている。
FacebookにInstagram、LINE、Messenger…時間があればチェックする生活になって何年も経つ。4年前からは松山千春と長渕剛を伝えたくて、アメブロまで始めた。
新しいツールを取り入れたからと言って、それまでのツールをなくしているわけではない。
プライベートなGmail、スマホに同機した職場のメール、携帯電話だって同じ。
立場上、休日と言っても職場のメールをチェックしないわけにはいかない。
早朝から深夜まで、情報や連絡が途切れることはない。またこうしたツールを一度開くとそれぞれに最新ニュースが飛び込んでくる。しかも上記のとおりGoogle関連はアルゴリズムによって私が好みそうな情報だけが来るわけなので、ついつい見てしまう。
コメントがあった場合、それに返信して、さらなる交信が続く。楽しんでやっている面もあるが、それなりに神経をすり減らし、疲れる時もある。
私の生活レベルなりにそれらのツールをチェックすることに気持ちも時間も費やす日々。そういう意味では精神的に「眠れない日々」を生きている。
「眠れない時代だと ひとりつぶやいた~」
松山千春の「眠れない時代」。1983年11月リリースのアルバム『眠れない時代』のタイトル曲。
リリース当時松山千春27歳。その若さでよくこういう視点でこういう歌詞を書いたものだと感心する。欲を言えば、歌詞の中にもう少し時代の様相を具体的な言葉で取り入れて欲しかった。
当時発刊されていた音楽誌「GuitarBook」の「別冊松山千春特集」(以下写真)に書かれていたこのツアーでの松山千春のメッセージには高校時代感動したのを覚えている。
レコードのアレンジよりも、ライブで聴いた重厚で、レコードよりも少しテンポが速いアレンジがよかった。
同アルバムの中には、自筆ではないが松山千春のこのアルバムに込めたメッセージが入っている。警鐘と言ってはオーバーかもしれないが、松山千春なりに当時の時代や人々に対して感じていた危機感なのだろう。
「(前略)自分の事を考えるのがやっという人間があまりにも多いのです。悲しい事だと思います。いつも何かに脅えながら、眠れない時代を過ごす、そんな時代なのだと思います。何かを求めているくせに、何事に対しても新しい価値判断が出来ない…。そして、眠れない事によるフラストレーションが蓄積していく。果ては、その不眠症ですら不眠症と感じる事の出来ない人間がふえていく…。「眠れない時代」―それは、夢のない時代とも言えます。今回のアルバムは、そんな時代に投げかけた自分なりのメッセージです」
この時代の中で、憧れや夢も少し色あせて来たかな?むしろそれは自分が疲れているからなのか。
自分ひとりが悩み怒ったって何も変わらない問題ばかり考えていた。
社会の安穏、人々の生活、それを脅かす犯罪、紛争や戦争。庶民を置き忘れたかのような政策の数々。どうしたらそれらを変えられるのか。
自分ひとりが叫んだって何も変わらない。でも自分の気持ちが行き届く限りにおいては自分の理想の世界を作りたいと願う。
松山千春は、歌を通して、ステージを通してそれをやろうとしてきたのだろう。長渕剛だって。
憧れも希望も捨てていない。夢も確かにこの胸の中にある。
ただちょっと疲れている。シリアスに考え込むような疲れではない。たまにゆっくり眠り小休止したら、眠れない時代の中をまた歩き出すとするか。
幸せは 目の前で いつも逃げ隠れ
追いかけて追いかけて 疲れかけて来た
思い出の数だけ 明日は来るけれど
色あせた 憧れに 見せる 苦笑い
眠れない時代だと 一人つぶやいた
ままならぬ事ばかり 思い悩んでた
ため息も ため息も 疲れきってきた
情けない分だけ くやしくなるけれど
色あせた憧れに 見せる苦笑い
眠れない時代だと 一人つぶやいた
思い出の数だけ 明日は来るけれど
色あせた憧れに 見せる苦笑い
眠れない時代だと 一人つぶやいた