今年は仮面ライダー生誕50周年。

 

 

 

9月14日の朝日新聞(耕論)に「仮面ライダーの世界観」として3人へのインタビュー記事が掲載されていた(以下記事全文引用)。

 

<白倉伸一郎さん>

「仮面ライダーが生まれた時代は米ソ冷戦のただ中。善・悪を決めつけられない時代」

「初期のライダーは単独で戦う。平成では複数のライダーが”グループ化”して戦う。これも時代の反映」

「敵・味方が峻別される現代にあって、今後どんな仮面ライダー像がありうるのか」

 

<切通理作さん>

「現在のヒーローものの基本スタイルを作ったのは仮面ライダー」

「仮面ライダーはその時代、時代の風を受け止め、伝えている」

「親も観た、子どもも観る、親子で一緒に観る好循環が、息の長い理由」

 

<井桁弘恵さん>

「人々を守りたい、救いたい気持ちが見ている人たちに伝わっていく」

「仮面ライダーの強さは人間力。強いけど強すぎない」

「仮面ライダーに自分の姿を重ね、優しい社会をつくるために生きる」

 

 

2021年9月14日 朝日新聞
(耕論)仮面ライダーの世界観 

白倉伸一郎さん、切通理作さん、井桁弘恵さん

 1971年、仮面ライダーのテレビ放映が始まって今年でちょうど50年。昭和、平成、令和と人々をひきつけてきたヒーローは、それぞれの時代をどう映し出してきたのだろうか。

■人間対人間、時代を映した 

白倉伸一郎さん(東映取締役・テレビ第二営業部長)
 仮面ライダーは、生まれながらの正義のヒーローではありません。秘密結社ショッカーによって作られた改造人間であり、「悪のテクノロジー」が刻印されています。私はそこに、この50年、連綿と受け継がれてきた原点があると考えています。
 そもそも石ノ森章太郎先生の原作には、抜け出すことが許されない組織から飛び出した忍者・抜け忍の発想があります。「自分が正義」というなら、その大義を自ら勝ち取っていかねばならない。そんな枷(かせ)をはめられています。
 これは1971年の放映開始当時、世界が米ソ冷戦のただ中にあったこととも密接に関係する世界観です。「敵」にも「味方」にもそれぞれの事情があり、こちらが善で、あちらが悪とは決めつけられない。他のヒーローならば、敵は異星人という設定もありうるのですが、仮面ライダーは改造人間同士、つまり人間対人間の戦いなのです。
 私自身、ライダーの新シリーズを企画する際には、その時代の現実とどう向き合うかを必ず踏まえなければならない、と考えてきました。20年前の米国の同時多発テロ直後、13人のライダーがバトルする「仮面ライダー龍騎」を担当した時には、何が善で何が悪かが不透明な世界を描いていると評されました。
 もっぱら単独で戦う昭和期のライダーに対し、平成では複数のライダーが同時に登場して戦う「グループ化」が進んでいますが、これも時代の反映と言えます。
 人間関係が複雑化し、仲間を見いだすのが難しくなっているのが現代です。ですから、せめてフィクションの世界では、登場人物同士がぶつかり合うことなく、価値観を共有する物語を見たいという人が多い。「ワンピース」「鬼滅の刃」などの人気漫画の設定にも、そんな傾向が見られます。そうした物語で活躍するヒーローがいま一番受け入れられています。 ただ、仮面ライダーはそれでよいのか、という思いもあります。
 現実の世界はさらに混沌(こんとん)としています。かつて冷戦期には、自分たちの共同体の外に「敵」がいましたが、いまは様々な国で「分断」が言われ、共同体の中に「敵」を見いだすような世界になってしまいました。フィクションの世界以上に敵味方が峻別(しゅんべつ)される現実を前に、今後どんな仮面ライダー像がありうるのか――。
 私は、視聴者である子どもたちには「上から目線」でなく、人間が人間に対してどう表現するのかを試されていると思っています。この50年間で、「仮面ライダーかくあるべし」といった不文律のようなものも出来つつある。そんな殻をどう破っていけるかも課題だと考えています。
 (聞き手・稲垣直人)
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 しらくらしんいちろう 1965年生まれ。90年に東映入社。以来、平成の仮面ライダーとスーパー戦隊シリーズを多数手がける。

■親も子も魅了する斬新さ 

切通理作さん(評論家)
 等身大のテレビヒーローといえば、古くは「月光仮面」などもありますが、怪人と対決する構成、そのテンポやリズムなど、現在定着しているスタイルを作ったのは仮面ライダーだと思います。
 もちろん、複数の等身大ヒーローが並列する「スーパー戦隊」シリーズはありますが、これはもともと歴代仮面ライダーの共演的なものが毎回見られるという、いわば延長線上にあるものといえます。
 仮面ライダー1号がテレビで初放映された1971年4月は、「帰ってきたウルトラマン」の放映が始まった時でもあります。巨大に変身するヒーローもかつては数多くあったのですが、これも現在、ほぼウルトラマンに一本化されました。
 なぜ、この2大ヒーローは息が長いのでしょうか。
 平成に入ってからの作品では、主役を演じる男性俳優に母親の世代も関心を持つようになったと言われますが、もちろん、それだけが人気の理由ではないでしょう。
 いまの親の世代、それより上の世代は、小さい頃にヒーロー番組、アニメ、マンガを見て育った人たちです。大人がいまの仮面ライダーを見て、昔を振り返ったり、新たな発見をしたりし、親が我が子といっしょに見るのも抵抗がない。そんな好循環ができているのだと思います。
 昭和の仮面ライダーは基本的に「改造人間」という設定で、昆虫をモチーフとする印象が強いですが、平成以降は必ずしもそこにこだわってはいません。バイクだけでなく電車や四輪車を駆るシリーズもあり、もはや〈仮面ライダー〉という統一の名前は必要ないのではないか、という声もある。しかし、ヒーローと敵が同じ力を分け持つという、昭和ライダーの精神を基底に置き続けていることが、大人になった世代をも引きつけているのかもしれません。
 昭和のライダーでは、悪の組織の首領が神殿のようなアジトにいるといったシーンもよくありましたが、平成ライダーでは少なくなります。その代わりに、敵の組織がどういう指揮系統なのか謎めいていたり、動機もよく分からぬまま人を襲う怪人が登場したりします。複数のライダーが戦い合うという、敵と味方が錯綜(さくそう)する設定も話題となりました。これらは、平成に入ってからの漠たる社会不安、テロのような「見えない敵」の象徴でもありました。
 ただ、「時代」との関連ということで言えば、いまの娯楽・情報のツールは、動画配信をはじめ多様化しています。僕個人としては、テレビの地上波を見るのは、仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊シリーズを見る時ぐらいとなりました。今や、わずかに残されたテレビと自分との接点が、こうしたヒーローたちなんです。(聞き手・稲垣直人)
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 きりどおしりさく 1964年生まれ。編集者をへて文筆業に。著書に「宮崎駿の〈世界〉」「特撮黙示録1995-2001」など多数。

■強すぎない姿に大人共感 

井桁弘恵さん(俳優)
 敵を倒すことで強さを見せて、メッセージを伝える。それがヒーローだと思っていたのですが、仮面ライダーを演じるなかで、考え方を変えるできごとがありました。
 私は、2019~20年に放送された「仮面ライダーゼロワン」で、女性ライダー・バルキリーを演じました。
 作中、バルキリーは所属する組織の上長の命令に逆らえず、一時期は他のライダーたちと敵対する「怪人」になってしまいます。つまり「闇落ち」するんです。でも、その後、彼女は上長に反逆の意思を示して「辞表パンチ」を食らわせる。そのシーンに、特に大人の視聴者から「力をもらいました」といった大きな反響が寄せられたのです。こういうメッセージの伝え方もあるのだと驚きました。
 会社を率いる社長にも、子どもを守りたい親にも、患者を救いたい医者にも、強い願いがある。そういう願いや意志さえあれば、時には闇に落ちても、迷っても、再び立ち上がっていけば、見ている人たちに思いは伝わる。それがヒーローなんだ、と。ずっと強くなくてもいい。視聴者もそんなふうに自分と重ねて仮面ライダーを見てくれているんだ、と感じました。
 物語の初期から変身し、レギュラー出演する「史上初」の女性ライダーだということで注目されましたが、撮影現場では女性であることを意識させられたり、女性らしい演技を求められることはまったくありませんでした。
 バルキリーに変身する女性は理系で理論派で芯が強い。だから、ふわっと柔らかい感じだと、彼女の人間性は表現できないんです。
 なのに、役をやるなかで、むしろ私自身が知らず知らずのうちに、「いかにも女性っぽい」動きやふるまいに、自分の演技を寄せてしまう傾向があることに気づきました。
 「スーパー戦隊」シリーズで女性が演じる登場人物は少し「キャピッ」とした「いかにも女性っぽい」と思われる動きをする、という印象がありますよね。私は、あまりテレビを見ない子だったので熱心に見ていたわけでもないのに、そんなふうに意識してしまっていたんです。
 「女性らしさ」「男性らしさ」の境界は、グラデーションだととらえた方がいいのではないでしょうか。力強い女性も、優しくてしなやかな男性もいます。かっこいいも、かわいいも、男性とか女性とかいう性別に属するものではありません。仮面ライダーを演じるなかで、強くそう思うようになりました。
 仮面ライダーの強さは人間力、とも言えるものなのだと思います。強いけど強すぎないから、自分の姿を重ねることができる。やさしい社会をつくるために生きられる人。そんなふうに今、思っています。(聞き手・高久潤)
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 いげたひろえ 1997年生まれ。福岡県出身。大学在学中からモデルとして活躍。ドラマ「お耳に合いましたら。」などに出演。