昨晩(2021年8月29日)の「松山千春 ON THE RADIO」
2日前の8月27日が、松山千春を見出しこの世界に送り出してくださった恩師・竹田健二さんの命日ということで、番組内でトータル約13分を使って竹田さんとの思い出を語っていた。
聴いているこちらも、直接お会いしたことのない竹田さんを思い、この日が来るたびに悲しさと寂しさはあるものの、松山千春の竹田さんを思う気持ちに触れて温かな気持ちになった。その語りの全内容を2回に分けて掲載する(2回目)。
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(21分時点から)
まぁ昭和52年な、1月25日。「旅立ち」でデビューして、その8月27日に大切な竹田さんを失って、正直言って
「俺、これからどうなるんだろう?ん~?どうなっちゃうんだろう?…」
みたいなな。
そしたら亡くなる前日、26日の夜、ニッポン放送の人たちと竹田さんは会っていて、ニッポン放送から「オールナイト・ニッポン」の二部、夜中の3時-5時、
「これに松山君を起用したいんだけど、竹田さんどうでしょうか?」
すると竹田さんは
「あのぉ~彼がそうやって東京の放送局でしゃべることは構わないんですが、約束してることがあるんです。それは千春君とは、北海道を離れないで歌の活動を続けていきたい…そういうふうに彼とは約束してるんで、東京へ行かせて、いろんな仕事をやらせることはできません。そういう約束してるんですけど…」
ニッポン放送の方は
「それでも構いません。北海道から最終便で来て、翌朝朝一番で帰っていただいて結構ですから。それでも」
と言って、竹田さんが了承した。もちろん俺は亡くなった後からそういう話しを聞かされて、
「竹田さんが決めてくれたスケジュールなら、やりましょう、オールナイト・ニッポン…」
今からじゃね、ちょっと難しいけど、夜中の3時から5時だぞ、お前。なぁ~。今やお前、その時間に目が覚めるってことはあるけどさぁ~、その時間まで起きてるってことは今は難しいですよ。あの頃はまだ21、22でしたからね。
またその~、ラジオの深夜放送ってのがね、盛んな時でしたからね、自分も面白半分、ニッポン放送行ったら、いろんな連中と顔を合わせることができるし。一部がタモリさんで、二部が俺で、ター様、チー様、と呼び合いながらね、やらせていただいた。まぁ、自分にとってはやることなすことが楽しい楽しい経験でした。
それでも45年経った今でも、仕事が終わって、またコンサートが終わって、
「竹田さん、今日のコンサートはどうでしたか?ちょっと俺が調子に乗り過ぎましたか?」
とかな。思いを馳せるなぁ。
(53分時点から)
竹田さんが…1977年、昭和52年8月27日に亡くなって45年もの歳月…自分も今年66歳になり、もし竹田さんが存命であれば、81歳。できれば81歳の竹田さんに叱られてみたかったなとつくづく思います。
失ってしまったものはとてつもなく大きいんですけど、その後、この45年でいろんなものをみなさんからいただいたような気がします。
今回の最後の曲、松山千春「大空と大地の中で」
(竹田健二さん:後と松山千春)
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松山千春コンサート・ツアー2021春 5/5(水・祝)
長野ホクト文化ホール
「大空と大地の中で」