<2023.12.30>公式音源挿入
<2021.07.15>一部加筆
<2020.07.14記事>
午後から上がったものの、今日(2020年7月14日)も朝から雨。今年はよく降る。
ふと弾き語りたくなって松山千春「雨の舗道」
1983年のアルバム『今、失われたものを求めて』収録
前年(1982年)、札幌真駒内での5万人ライブを大成功させ、その後の第一弾となったオリジナルアルバム。私は当時高校1年。大きく期待して聴いたが、リリース当初からひっかかる曲が少なかった。
確か当時日曜日の朝、AM(ニッポン放送?)で松山千春がラジオ番組を持っていたが、その中で「このアルバムのジャケット写真がいいんだよ」と言っていたのを覚えている。
見るたび思うが、個人的な感覚ではこのジャケット写真、正対で人物を大きく取ったデザインの中で、大きなサングラス。サングラスしか目に入って来ない。
眼を写していないせいか、ジャケット全体が死んでしまっているような感覚。サングラスを外した写真の方がよかったと思う。
松山千春の人気が絶頂期から下降期に移るポイントとなったアルバムと認識している。このアルバムを最後に、私の周囲いた多くのファンたちが松山千春から離れて行った。
人気下降のひとつの要素としての作風の変化という意味では、既にアルバム『大いなる愛よ夢よ』(1982年)から始まっていたと思っている。
夢野旅人さんのDBによる当時のオリジナルアルバムの売上は
・1981年 「時代をこえて」:60~70万
・1982年 「大いなる愛よ夢よ」:30~40万
・1983年 「今、失われたものを求めて」:20~30万
・1983年 「眠れない時代」:10~20万
・1984年 「愛を贈る」:10~20万
・1985年 「明日のために」:5~10万
・1985年 「風の歌がきこえる」:3~5万
・1986年 「あなたが僕を捜す時」:3~5万
当時、アルバムが出るたびに書店の店頭に置いてある(販売している)オリコン(当時:紙)で売上枚数をチェックしていたが、デビュー5年で売上のピークを迎え、その5年後の売上は二桁に届かなくなった。
アルバムが出るたびに売上が減っていくあの何とも言えない寂しさは今でも覚えている。
さて、「今、失われたものを求めて」―このアルバムとタイアップしたツアーは、同年6月19日、山梨県民文化ホールに参加した。
一部は弾き語り、選曲、パワフルな歌唱力、爆笑トーク…いずれも完璧だった。
二部での大きく出たトーク。「俺の歌はそこらへんのガキが歌っている歌とは違う」とまだ27歳の松山千春が豪語する。ツアー開始前から「騒いで終わるコンサートの流れを変えたい」と言い、アンコールは「電話」1曲のみ、全13曲。竜頭蛇尾、不完全燃焼だった。
「雨の舗道」は上のコンサート・ツアーでは歌われていない。夢野旅人さんのDBによると、他のツアー含めてまだ一度もライブで歌われていない。憶測の域を出ないが、松山千春自身の中であまり好みでない曲なのかもしれない。
個人的には、どこかドラマの作られたワンシーンを膨らませたような、フィクション感を強く感じる歌詞は自分の中に入って来ない。
小さなことだが、最後のリフレインの「か、さ、は 雨の舗道に~♬」の歌い方は気に入っている。
ともあれ、ほんとに久しぶりに弾き語りしてみると、懐かしさが先立ち、高校1年当時を思い出す。
コレクションアルバム『思い出』には収録されていないので、秋~冬のコンサート・ツアーが実現できた場合でも、セットリストに入って来ることはないだろう。
とは言いながらも、いつかコンサートでこれを歌ってくれたら、「おっ!」と嬉しくなるだろう。それ以上に、このアルバムだったら「待たせたね」「今、失われたものを求めて」を聴きたいところ。
悲しい恋の終りには
冷たい雨が良く似合う
もっとお寄りよ濡れるから
あの日と同じこの道を
歩くたびに胸が痛むから
雨よ強くもっと強くふれ
涙流せ
君を失う悲しみが
今さら心かき乱す
足を止めて見つめ合う
思わず君を抱き寄せて
やり直してみよう始めから
今ならきっと間に合うさ
燃える愛を重ねもう一度
雨よ強くもっと強くふれ
全て流せ
傘は雨の舗道に 投げ捨てて
二人雨に濡れる いだき合う
傘は雨の舗道に 投げ捨てて
二人夜の街に 消えて行く