生きることに疲れたあなたが一番にしなければならないこと
―加藤諦三の新・人間関係論―
(加藤諦三/早稲田新書/2020年12月10日)
著者は著名な作家、社会心理学者で、多数の著作を持つ。ニッポン放送系ラジオ番組「テレフォン人生相談」に半世紀以上出演中。
今、私自身が「生きることに疲れている」わけではないが、左の「 」内を一般的に「人生に行き詰まりを感じている」「悩みの中にいる」「苦境におかれている」などと置き換えた場合、その時“一番にしなければならないこと”とは何か。
結論としては、「過去を投げ出せ」ということ(118㌻)だろう。「今の目の前にある現実に生きよ」と言い換えられる。「自分の過去をカテゴリーで見ること」(120㌻)を止めよ、とも。
例えば、過去に何らかの入学試験に落ちたとする。その時、「もっと勉強しないからだ。我が子として恥ずかしい」と責められた人と、「試験の合否はどうあれ、あなたはあなたである。健康で生きていてくれさえすればいい」と言われた人とでは、同じ入学試験に落ちたという事実でも受け止め方が違ってくる。
その後再び入学試験に直面した時、前者はあの時の責められた記憶が蘇り、今目の前の入学試験に対して委縮し、抵抗を感じてしまうかもしれない。
人間不信の人がいたとする。過去に人間不信に陥らざるを得ないような人と接してきたのが原因だった。「しかし、今目の前にいる人は信じられるかもしれない。それにもかかわらず、その人は当然この人も信じない。今目の前にいる嫌な人に心が囚われてしまうのは、その人を通して今までの嫌な人について蓄積された感情的記憶が心の底に燃え広がり始めるからです」(119㌻)。
この二つの例はともに過去の経験で現在の経験を見てしまうところに、現実に生きにくさを感じる原因がある。著者は「体は現在、心は過去に」(104㌻)「人は過去に学習したものにより今に反応してしまう」(同㌻)と見る。
別の視点で上の二つの例に共通するのはそこに「人間関係」が存在すること。故に著者は「反省するというのは、自分がどういう人間関係の中で、成長したかを考えるということです。(中略)それによって自分の活動の幅がどう影響されたか、それによって自己イメージにどういう影響が出たのかを考えることが、人生の諸問題を解決していく能力を育成していくキーポイントの一つ」(80㌻)であると言う。「不満の原因になる土台は、自分のどの時代の人間関係なのか?自分の成長のどの時代の人間関係が、自分の価値観を作ったのか?私は何に気がついていないのか?この反省が人生を開く」(81㌻)とも。
著者が言う「過去を投げ出せ」、つまり過去の経験に縛られて、そこから現在を見るな、という主張には納得がいく。私自身にも似たような経験があり、現実に今もそうした囚われに陥ることがある。
ただ、そこから抜け出すための「反省」の方法は今ひとつ理解できない。現在の自分の考え方(発想)は、「自分の成長のどの時代の人間関係が、自分の価値観を作ったのか?」…そこを反省せよ、と言われてもつぶさには思い出せない。仮にその時の体験は思い出せたとしても、それがどういう人間関係のもとで起きたものなのか、詳細に思い出すことはまず不可能である。そもそもその時背景にあった人間関係の全容など分からないことの方が多い。それをベースにして的確に反省することができるのだろうか。
人間はとかく過去の自分の経験と、そこから学習したことに囚われがちであるが、今目の前で起きていることに今の自分の心で反応し対応することと、物事を十把一絡げ(カテゴリー)で見ないことの大切さを改めてこの本から学んだ。