日本経済新聞(夕刊)連載「あすへの話題」
今日(6月11日、金曜日)は執筆者のひとり、THE ALFEEの高見沢俊彦さんの担当日。
高見沢さんの第23回目。早いもので、全25回予定の連載で今回はもう23回目。今回のテーマは「私たちの望むものは」。
「私たちの望むものは」…言うまでもなく、フォークシンガー岡林信康さんの曲のタイトルである(1970年)。
松山千春が岡林信康さんなどの影響を受け、高校時代の学園祭でこの「私たちの望むものは」を弾き語ったのはファンの間では有名な話。デビュー後、ライブでも歌って来たし、この曲を含めたカバーアルバムも出している。
高見沢さんの人としての歴史はまったく詳しくないが、この歌が高見沢さんの音楽人生に影響を与えていたということを知って嬉しく思う。
今回のコラムは高見沢さんの青春時代を振り返るような内容だが、原点と言ってもいいのだろう、自身のミュージシャンとしての原点と夢を今でも大切にしながら、第一線で活躍している高見沢さん、THE ALFEEの皆さんに敬意を表したい。
(岡林信康 関連記事)
私たちの望むものは――ミュージシャン高見沢俊彦(あすへの話題)
2021年6月11日 日本経済新聞 夕刊
岡林信康さんの曲「私たちの望むものは」の「くりかえすことではなく、たえず変わってゆくことなのだ」という歌詞に感銘を覚えたのは大学1年の頃だった。ハードロックが好みで、殆(ほとん)どフォークというジャンルを聞いてこなかった自分には、強烈なインパクトを持って心に突き刺さった。まさに時代の進化と共に変化してゆくことが重要なんだと痛感したのだ。
1973年、当時は学生運動も終息に向かい、キャンパスも殺伐とした雰囲気から、ある意味、穏やかで華やかな風景に変わりつつあった。通っていた高校は大学と同じ敷地内に併設され、自分もそこに進学したが、大学生になったという緊張感はゼロ。むしろ高校4年生という感覚の方が正しいかもしれない。何かを学びたいと思って入ったわけではないから、何をやっても身が入らず、将来の不安に苛(さいな)まれる毎日だった。この辺の心理は拙著「音叉(おんさ)」の主人公に投影させたが、現実の精神状態はもっと複雑で、もっと深刻だった。そんな時に聞いたのがこの曲だ。今までの殻を破って、新たな自分になることだと、いきなり大きな命題を突きつけられ、ある意味ひとりよがりの孤独から救われた気がした。
そのあと、父の後を継ぎ、教師の道を進むという選択は放棄した。このまま惰性で教師になるより、外に出て自分の可能性に賭けてみようと思ったのだ。では自分の望むものは? そう考えた時、そこにあったのは音楽であり、同じ夢を共有する仲間だった。それから長い時間この世界で苦楽を共にして来たが、坂崎の部屋で聴いた一枚のレコードの感動は今でも鮮明に覚えている。
2021・6・11
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