松山千春7枚目のオリジナルアルバム『時代(とき)をこえて』が発売されて今日で40年。

1981年5月21日にリリースされている。

 

大滝詠一が1981年3月21日に発表したアルバム『A LONG VACATION』、通称「ロンバケ」も40周年で、それを記念して今年3月21日には『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』が発売、CDショップには専用コーナーが設けられ、オリコンデイリーランキングでは1位を獲得した。テレビやラジオでも特番が組まれ、新聞でも取り上げられていた。「大滝詠一A LONG VACATION読本」まで発売され書店に並んでいる。

 

同じ40周年と言っても、松山千春の「ときこえ」のAnniversary Editionが発売されることもなく、上に書いたような扱いをされることはない。せめて一ファンとして、記憶をたどってみた。

 

『時代をこえて』は、松山千春のオリジナルアルバムの中では最も売れたタイトルで、推計60~70万枚(松山千春のアルバム・ミュージックテープ、セールスランキング/夢野旅人)。

 

時期的には前作の『木枯しに抱かれて』(1980年)と、次作の『大いなる愛よ夢よ』(1982年)との間に位置し、作風や哀愁漂う声質もデビュー当時のものを若干残しつつ、良くも悪くもその後変わっていく要素も予感させるところがある。それらを考えると、”『時代をこえて』以前と以後”で違いがあり、松山千春の過渡期そのもの、実質的な意味合いで初期の松山千春の頂点だったと思う。

 

このアルバムが出た時、私は中学2年。当時の時代背景的なものもあったが、中学2年でよくこういうアルバムを好んで聴いたものだと不思議にさえ思う。現在の中学2年生が聴くとは到底思えない。

 

その前月、4月21日にリリースされたシングル「長い夜」の大ヒットと、6月と7月にザ・ベストテンに出演した際の松山千春のライブパフォーマンスは大きなブームを作り上げ、この段階で”にわかファン”も含めて私の周囲にも多くの松山千春ファンがいた。

 

4月「長い夜」リリースー5月『時代をこえて』リリースー6月、7月「ザ・ベストテン」出演という時系列的なものはあるにせよ、それらのトータル的な影響もあってこのアルバムのセールスが伸びたという面もあるだろう。

 

アルバム『時代をこえて』とシングル「長い夜」は切っても切れない関係がある。

 

ちなみに同年11月21日に発売されたシングルコレクションアルバム『起承転結Ⅱ』は、「長い夜」が収録されていることもあり、推計売上は70~80万枚。松山千春の全アルバムのセールスの中では2番目に多い( 同上/夢野旅人)

 

アルバム解説には次のとおり書かれている。

 

「浪漫」「木枯しに抱かれて」と並ぶ「松山千春・承の時代3部作」の中の大ヒット・アルバム。(チャート1位獲得作品) また、松山千春にとって初めての海外レコーディング作品でもある。ミキサーにジョン・リースを迎え、ハワイとロスアンジェルスで制作された。そのサウンド・クォリティーもさることながら、作品のスケール、テーマやアイディアの充実ぶりは高い評価を得ることになった。コンサートでも人気の「浜辺」「この部屋」をはじめ、この時代を代表する作品が並べられている。そして、究極のラヴ・バラードと称される「限りある命」の高い完成度は、松山千春の底力を充分に見せつけるものとなった。まさしく、「松山千春・承の時代」を締めくくるにふさわしいアルバムとなったのである。

 日本コロンビア松山千春ページ

 

収録曲は以下の10曲。個人的には「ダーリン」は当時も今も受け入れられないが、その他の9曲はどれも秀作だと今も思う。タイトル曲の「時代をこえて」、「浜辺」、「限りある命」などの大黒柱的な曲とともに、「夜」「この部屋」「とだえた言葉」「星をかぞえて」など、地味だがしっかり個性を放ちつつ存在する名曲たちがある。「夜」や「夢をのせて」は年齢を重ねるほど良さを実感している。「時代をこえて」は今もってコンサートで歌われることを待ち望んでいるファンが多い。

 

1.夜

2..この部屋
3.とだえた言葉
4.ダーリン
5..時代(とき)をこえて
6.浜辺
7.夢をのせて
8.夏
9.限りある命
10.星をかぞえて

 

1982年が松山千春人気の全盛期の頂点の年であり、それを実質的に作ったのは間違いなくこの1981年だろう。日本中が松山千春に熱狂していたと言っても言い過ぎではないと今でも思う。

 

|「長い夜」の大ヒットとザ・ベストテン出演

 

 

松山千春は1982年7月に札幌・真駒内屋外競技場に51,000人を集めてビッグイベントを開催した。松山千春の絶頂期と言っていいこの年の前年、「長い夜」が大ヒットしている。

1981年の年間シングル売上ランキングの1位は寺尾聡「ルビーの指輪」、5位が松山千春「長い夜」。86万枚超を売り上げた。

 

1981年6月11日、TBSザ・ベストテンで「長い夜」が第4位となり、富山市公会堂から中継出演した。

録画で、直前に終了した同会館での「長い夜」のライブ映像が放映されたが、それを流す前の数分間、誰もいなくなった会館からメッセージを送った。

 

(富山市公会堂)

 

この時、私中学2年。事前に「出る」と公言していたので、この日はテレビの前で正座して観た。

びっくりした。しびれた。この時、松山千春を聴き始めて3年ほど経っていたが、テレビを観ながら「これはいったい誰だろう」と思ったほど。

 

その後7月2日、それまで12週連続で1位を死守し続けていた寺尾聡の「ルビーの指環」を抜き、「長い夜」が1位になった。そしてこの時は、その直前、6月28日の春のコンサートツアー最終公演、日比谷野外音楽堂での「長い夜」が放映された。

 

(日比谷野外音楽堂)


重複するが、この映像に、私の中学校中が、私の地元の山梨県中が、いやひょっとしたら日本中が湧いたと言っていいのかもしれない。 

あの当時、まだ家庭にビデオデッキなど普及していない中、ひとりだけ同じクラスの友だちの家にβ方式のそれがあり、この時の「長い夜」を録画していた。迷惑だったと思うけど、その後、その映像を観るためだけに何度彼の家に通ったことか。

 

 

この7月2日の出演について、コラムニストの古木秀典氏が書いている(2019年7月2日)。

 

ボーカルの圧倒的熱量だけでグワっと心を持っていかれ、テレビの中の客席から戻って来られなくなるような初めての経験。僕は、放送が終わった後も興奮のあまり、しばらく体が火照って眠れなくなってしまった。
この1981年7月2日は、最高に魅力的で、最強に魅惑的な松山千春というボーカリストが、日本全国数千万人のお茶の間をロック・オンした夜として末永く記憶されたい。

 

松山千春の「長い夜」に魅せられた夜、日本全国のお茶の間をロック・オン!

 

 

中学の3年間は私自身も一番松山千春に熱狂していた。アルバム『時代をこえて』を聴くたびに、「長い夜」「ザ・ベストテン」「日比谷野音」…全部一緒になって当時を思い出す。松山千春というフォークシンガーに完全にロック・オンされていた時代だった。あの時聴いていた歌たちは、40年の時をこえてもなお響いている。