<2022.11.16 ILで公式音源挿入>
<2021.4.16記事>
久しぶりに松山千春のアルバム『笑っていたい』(1998年)を聴いている。
「 全てです」「ありふれた恋」「望郷」「最後のチャンス」「さよなら」はいつ聴いてもいい。
ここ一年ぐらい、幼少の頃から現在のことまで、ふとその時の自分の言動が蘇ってくることが多々ある。なぜこんなことまで思い出すのか、ということまで。
「遠い思い出が 君にからみつく」…松山千春の「夢の旅人」の歌詞ではないが、遠い思い出にからみつかれているような感覚。
蘇ってきたたいていのことは「しょうがねぇな」「子どもだったな」「若かったな」「俺も悪かったな」ということで処理するのだけれど、自分の良いところも悪いところも見詰める心境になる。
上に書いた「望郷」の歌詞の一部
心の中が貧しいだけと
今頃気付いて 振り向いたなら
幼い日の私が ひとりたたずむ
現在の心境が貧しいとも思えないが、昔を俯瞰できる年齢に入ってきて、やっと本当の意味で自分というものに気付き始めて来たのかもしれない。
自分の本質的なところは小さい頃からまったく変わっていない。ふと振り向くと、幼い頃の私がいつもそこにひとりたたずんでいる。
まさにこの歌詞のままの心境。
以下は2019年10月30日に「望郷」に関して思ったことを書いた記事。
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(2019.10.30記事)
今度の日曜日(2019年11月3日)、ふるさとの山梨に帰り、中学時代の友達4人と一席持つ。
当初はこの前の日曜日(10月27日)に開く予定だったが、台風19号の影響で中央本線単線運行、特急は一切不通、復旧は10月末だったため、1週間ずらした。
ずらした関係で集まる人数は減ってしまったが、それでも久しぶりに彼らと会うのは嬉しい。
「おい、久しぶりに飲もうぜ。帰って来いよ!」と明るい、スタンプだらけのグループLINEが来るが、日程調整はいつも「東京にいるお前が声をかけた方がみな集まりやすい」と、私。LINEがあるといっても結構物理的な距離を感じるのだが…。
30年間まったく変わらない話題で盛り上がる。最近では子どもの進学や就職のこと、体の不調、飲んでいる薬の種類、親の介護など、歳相応の話題も入ってきた。
髪の毛のことはあまりに現実的すぎるやつもいるので、いつしか話題にしなくなった。
ふるさとに帰ろうと思うと、松山千春「帰ろうか」「慕う」、長渕剛「鶴になった父ちゃん」、小田和正「my home town」、浜田省吾「THEME OF FATHER'S SON (遥かなる我家)」…いろいろ聴こえてくる。
松山千春「望郷」(アルバム『笑っていたい』の5曲目/1998年10月)。
松山千春が作るふるさとにちなんだ歌は三拍子が多い。
私のふるさとは扇状地の甲府盆地。広い草原や果てない青空はなく、生きているエリアが山々で区切られていることがよく分かる。
当時東京に出ていた友達のほとんどがもう山梨に帰ってしまっている。
悩みふと立ち止まって振り返ったとしても、ふるさとで18歳まで過ごした情景が、いつも風光る中で輝いている。そこにはこれまで出会った人たちと両親、家族、私がいつも笑顔でたたずんでいる。
青い空を見上げた 流れる雲よ
はるか遠い 私の故郷は 今
短い夏を 迎えているか
広い草原は 花咲き乱れ
青い空を見上げた 流れる雲よ
帰りたいね すぐにも あふれる思い
丘に登り見下ろす あの町並みは
都会に夢を 求めた頃と
少しも変わらず ひなびたままか
帰りたいね すぐにも あふれる思い
心の中が貧しいだけと
今頃気付いて 振り向いたなら
幼い日の私が ひとりたたずむ
幼い日の私が ひとりたたずむ
(ふるさとの山梨市/中央は富士山)