<2024.03.28>🔗、告知写真、公式音源追加
<2021.04.09>起稿

 

 

1985年8月3日(土)、兵庫県神鍋高原岩倉ゲレンデ(スキー場)野外特設ステージで行われた「Big Summer Scene ’85 千春 in 神鍋」

 

その時のセットリストは以下リンク、夢野旅人さんのブログに詳しい。

 

 

「人は誰も君」さんのブログにも詳しい(2024年3月27日挿入)

 

 

 

(「人は誰も君」ブログから)

 

このライブで松山千春は「虹のかなた」と「明日のために」の間のトークで、恩師・竹田健二さん(故人)のことを語っている。

 

そこで語られたことは、あのイベントから約36年経ってなお、現在もまったく変わらない松山千春の竹田健二さんへの思いと決意であり、生き方である。

 

「力が続く限り頑張って歌い続けていたい。なぜか。俺が頑張れば頑張るほど竹田さんの名前が残っていくから」

 

ひょっとすると「自分のために頑張る」というベクトルの方が人々に受け入れられている時代かもしれないが、「自分のために頑張る」ことは意外と妥協しやすい面がある。

 

「何かのため、誰かのために頑張る」からこそ、その頑張りを持続できたり、結果的に自分の力を引き出すことができることを体験的に実感している。

 

トーク詳細は以下。

 

(前略)俺もこれから何十年歌えるかわかんないけど、自分の力が続く限りね、頑張って歌ってみたいし。なぜかって言うと、俺、歌を歌い始めたべや。それで、一番お世話になった人は誰だ?って言われたら、まずSTVラジオの竹田さん、とういディレクター、竹田さんが…俺はもうお世話になった。

 

うちのスタッフにもお世話になってるし。それから照明だとかね、音響の連中にもお世話になってるし。歌い始めた時から、また神鍋でイベントやればこうやってたくさん来てくれてるみんなにも非常にお世話になっている。

 

そしたらよ、つまんなことできないべや。つまんない一生を送ったら終わりだべや。(中略)ぜひみんなもあっと驚くような、みんなの期待を上回るような、そんな成長をしてみたいし。

 

だってさ、ちょっと寂しい話だけどさ、俺ほんとにね、竹田さんという人にお世話になったんだ。竹田さん、もう死んじゃったべ。したらさぁ、俺がさぁ…人の気持ちってのはさ、やっぱり冷たいものだと思うけどさ。それもしょうがないな、と思うんだ。

 

何年かすれば忘れてしまうってのはさ、ほんとに寂しいじゃない?人間で何が寂しいかって言えばさ、忘れられることぐらい寂しいものはないじゃない?嫌われたりさ、裏切られたりさ、そんなことは悲しくない、何も。忘れられるってのが一番可哀そうじゃない?

 

だから、俺がぽしゃればさ、竹田さんも忘れられるわけだ。だから俺は二倍も三倍も頑張りたい。俺が頑張れば頑張るほど、竹田さんの名前が出て来るからさ。

 

みんなもそれぞれいろんな夢があるし、自分にもあります。ぜひ、くたばるまでにね、叶えられるよう。俺も頑張る。みんなも頑張ってください。

 

 

 

恩師・竹田健二さんについて語る(2分12秒~)

1982年7月24日 北海道真駒内屋外競技場

「旅立ち」1982年7月24日 北海道真駒内屋外競技場