昨晩(3月14日)の「松山千春のON THE RADIO」
番組の最後にひとこと、春のコンサート・ツアーについて、意気込みを語っていた。

だんだん温かくなってきてますが、寒暖差にはじゅうぶん気を付けて、毎日、お過ごしください。自分は、春のコンサートに向かって、頑張ってやれるよう、マスク、手洗い、うがい…こんな俺でもちゃんとやってますから。


番組の中で自曲「物語」の弾き語りが終わった後、その歌詞の内容に関連して、ふるさと足寄町や高校時代のこと、大学に関することなどを語っていた。

 

話しの中に出て来る足寄町にあった喫茶店「カトレア」については、松山千春写真集「激流」にも掲載されているし、1988年8月28日にテレビ朝日系で放映された「人間!ホットアイ」(松山千春特集)の中でも、ここで語っているシーンがある(以下)。

 

(松山千春写真集「激流」 キャプション「カトレア」にて)

(以下2枚は「人間!ホットアイ」のワンシーン)

 


大学については、松山千春が足寄高校を卒業した昭和49年(1974年)の「4年制大学への進学率」は25.1%。一般論として当時の18歳人口のうち大学に進学したのは4人に一人※。

ちなみに私が高校を卒業した年(昭和61年/1986年)の同進学率は23.6%と、昭和49年当時とほぼ変わっていない。

俺みたいに、足寄の町で、昔付き合ってた女とばったり会う…ありません。なぁ、なんせお前、駅もなくなっちゃったからさ、人が歩いてないんだから。一番の繁華街、三笠通り、誰もいないんだよ。もう見たら、シャッターどころか店自体が無くなってるからなぁ。みんなどこ行っちゃったんだろう、と思いながらなぁ。ばったり会う、というよりももう捜しに行かなくては会えない状態だわなぁ。

やっぱり札幌とかな、ん~まぁ、もちろん大宮でも、埼玉、東京、まぁ、横浜なんかも雰囲気いいんじゃないか。ねぇ、名古屋、大阪、福岡、ま、福岡なんかはやっぱり中州と天神、まったくのほんとの飲み屋街とあとほんと歓楽街みたいなね、天神と。やっぱり人口が100万以上の街、だとそういうことがあり得ると思うんだ。

やっぱりうち(足寄町)みたいに人口6,000人ではね、なかなか、なぁ、喫茶店入ろう…その喫茶店がないんだから。昔はありましたよ、カトレアって言ってな。市原さんがやってくれてた…。もう俺たち学校終わったら、あれだな、卒業の頃には毎日カトレアに寄って、みんなでわいわい騒いで、将来どうする?この後どうする?なぁ、ほとんどがやっぱり、就職だったからなぁ。だから俺が高校出る頃、昭和47年、48年だろ(松山千春の足寄高校卒業は昭和49年)。この頃大学行こうというまず感覚がなかった。だから今の若い連中はいろんな大学があるべや。またいろんな大学、作っちゃったからさぁ、逆に子どもが少なくなっちゃってなぁ。今やもう大学の方が必死になってさ、“どうかうちに、なにとぞひとつ”みたいな感じでな、テレビコマーシャルまで打ってな、“我が大学へ~”ってやってるけどよぉ、俺たちの時によ、足寄だぞ、十勝管内な、帯広畜産大学、しかなかったんだよ、大学って。

うちは農家でも牧畜でもないからさぁ、畜産行って何を勉強したらいいだろう?みたいなな。そしたら、まぁ、高校出たら早く親を楽にさせるためにね、働いた方がいいなぁ。だから俺の周りはほとんど大学行ってないんじゃないか。また行ったとしても、最後までちゃんと卒業したやつっていないんじゃないか。
 

※<出典>
文部統計要覧昭和31~41,42~平成13年版
学校基本調査報告書昭和40年版
文部科学統計要覧平成14~25年版

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