今夜(1月24日)の松山千春の「ON THE RADIO」
明1月25日は松山千春の45回目のデビュー記念日。


ほぼ番組1時間を使って、16日に逝去された自身のお母様のことを語っていた。亡きお父様とお姉様、弟さんのことも交えながら、お母様と家族のことを語っていた。

 

涙は見せずに、お母様との思い出を語り、感謝を捧げる松山千春らしい話しだった。その内容は明日以降に可能な限りで書き残すことにする。

 

今夜の弾き語りは「星空」(1986年)

 

タイトルを聞いて思わず拍手した。去年からここまでの弾き語りの中では一番嬉しかった。

 

前後の話しと歌の内容が完璧に一致していた申し分のない選曲。この歌のギターコードはかなり細かい音を取り入れたものをたくさん使っているので、すぐに楽譜を出して一緒に弾いた。この歌にしては珍しいと思ったが、二番からはストロークで弾いていた。

 


1986年、大学入学で山梨から東京に出てきてアパートで一人暮らしを始めた直後にリリースされたアルバム『あなたが僕を捜す時』に収録されている。アパートでこの「星空」もよく聴いた。

 

翌1987年夏から私の母のがんとの闘いが始まった時にもこのアルバムを聴きながらだった。弾き語りを聴いていて涙が溢れそうになったし、幸せで満たされた気持ちになった。この歌を歌ってくれて有り難かった。

弾き語り前後のトークは以下。
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むか~し(昔)だなぁ。まぁ、小学校の頃か?母さんに、母さん土方だからな、普段いないから、雨降った日帰ってきて、「母さん、母さん何で土方やってるの?うちの周りの同級生みんな母さんが飯作って、いろんな世話してるよ」「何言ってんだい、バカだね、お前。母さんだって、土方したくてしてるわけじゃないよ。父さんを見てごらん。父さんを好きになっちゃったんだから。金にならないような仕事ばっかりやってる父さん、好きになっちゃったんだから、こっちが体張ってでも金稼いで来なきゃなんないでしょ」…それ言われた時にはな、「ん~、なるほどね~」とつくづく思ったけどな。人それぞれいろんなご家庭があり、人生があると思います。

「星空」(弾き語り)

 



そんな松山一家でしたから、俺が、母さんとの思い出は何だ?と言われたら…ん~、小学校上がる前かなぁ?五つとか六つの頃。花札の博打場でラーメンをすすってた自分がいた。大人たちが何をやってんのかわかんなかったけど、ただラーメンが食べたくて、母さんのそばにいた。それがあれかなぁ、一番古い記憶かなぁ。

あとは、うちは貧乏だったんで、いろんなものを買うことができなくて、母さんがリヤカーを引っ張って、俺が後ろからくっ付いて、足寄の街のゴミ捨て場に行って、そこでまだ使えそうな椅子だとか、机だとか、そんなものを拾って、リヤカーで、同級生に、また、友だちに見られたら恥ずかしいなぁ、とは心の中にありましたけど、威風堂々とリヤカーを引いている母さんを見てると、ん~、“俺たちは恥ずかしい思いをしてるわけではない。なぁ、生きるために必死で頑張ってんだ。どこに恥ずかしいことがあるんだ。お天道さんに顔を向けられないような、そんなことはしてない。”

とにかく、博打が好きで、花札で全国回って、俺が小学校5年ぐらいの時か、朝早く父さんが「千春!お前、早く起きろ!お前、北海道新聞見てみろ!母さん、載ってるぞ!」…賭博の現行犯で松山ミヨ、捕まりまして。なぜかおやじのテンションが高かった。ここだけの話しだけどよ。俺、姉ちゃんが絵里子、弟が明人。

父さん、俺だけに“「千春、花札は覚えないでくれ。他のマージャンとかそういうことはいいけど、花札だけは覚えないでくれ」…子どもの時言われたのが、”ああ、父さんとしても後ろめたい気持ちはあるんだけど、なにせ自分が稼ぐことができない、それでみんなに辛い思いさせてるんだなぁ。“そんな中でも力強かったねぇ~、うちの母さんは。

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