<2024.02.24>
「生きている」公式音源挿入
<2020.12.28>起稿
松山千春は1989年11月28日に『ISHI』というアルバムをリリースしている。
その10曲目の「凡庸」、歌われている内容やメロディ、歌全体から伝わるスケール感からすれば、実質的にはこのアルバムのタイトル曲と言っていい。
近いところでは2016年、デビュー40周年日本武道館弾き語りライブのラストで歌っている。松山千春がここぞという時に歌う、松山千春流フォークソングの代表曲のひとつだろう。
先日、福岡に住む大学時代の先輩の奥様から連絡があった。その先輩は7年前に一度がんを乗り越えたが、今年秋口から全身の不調を訴え入院。がんが体中に広く再発しているとのこと。
ドクターからは余命宣告され、ターミナルケアで、もって3~4か月。抗がん剤治療を行っても約1年。
先輩は後者を選び、全身の痛みと抗がん剤の副作用に苦しみながら、命を懸けてがんと闘っている。必死に生きている。学生時代からお世話になってきた我々は毎日ひたすら回復を祈るのみ。
警察庁の発表によると、2020年11月の自殺者数は速報値で1798人だった。前年同月比で11.3%(182人)の増加と言う。自殺者数は2010年から19年まで10年連続で減少し続け、20年に入ってからも1~6月までは前年同月比マイナスで推移していた。
しかし7月以降は5カ月連続で増加し、1~11月の累計の自殺者数は1万9101人で前年同期より426人多い。とくに女性の増加が顕著である。
松山千春は昨晩(2020年12月27日)放送された今年最後の自身のラジオ番組の最後で「どうか生きてください。生き抜いてください」と訴えていた(下段にその部分の語り全文)。
理由は定かではないが、自殺される方が多い現状を見ての発言だったのかもしれない。
自殺の理由は軽々には語ることはできないし、松山千春が言うことだけがその理由ではないだろう。ただ、人々のことを思い、松山千春なりに必死に語っていたその気持ちはよく分かるし、ラジオを聴いている方々に伝わったと思う。
その語りの後、自曲の「凡庸」をかけて番組を終えた。
人は同じだけ風を感じている
同じ陽差し受け雨にうたれる
いつも歩いた私なりの日々よ
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
(「凡庸」抜粋)
「生きている」(2014年)でも歌う(抜粋)。
希望と絶望 くり返す度
優しくなれるさ 強くもなれる
僕の息づかいは 笑い 涙は
悩みもがきながら 生きている
人の生死について、先達や哲学者の生死観を多少なりとも学び、私の中では一つの規範を持っているつもりではあるが、応援している松山千春が、松山千春なりに語った思いに共感し感動した。
上の「凡庸」の歌詞にあるとおり、晴れの日も嵐の日も、幸も不幸も全部ひっくるめて自分の人生であり、何を為さずともそこに存在しているだけで、生きているだけで大きな価値と意味がある。自ら自分の命を終わらせることほど悲しいことはない。
「生きることによって自分の存在価値を、家で、地域で、社会で示してください。死んじゃだめだ」(松山千春)
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ここに来て自殺される方、また、死にたい、と思われている方、たくさんいらっしゃると思います。多分、苦しいから、辛いから、というよりも、死ぬことによって自分の存在意義をみんなに認めてもらいたい…いじめとかよくありますけど、あれは死ぬことによって自分を見てくれ、その方法しかなかった、っていう人の苦渋の選択だと思いますが。
ラジオを聴いていらっしゃる皆さん、どうか生きてください。生き抜いてください。100歳以上まで頑張ってください。つまらない、面白くもない、辛い、苦しい毎日かもしれませんが、生きることによって自分の存在価値を、家で、地域で、社会で示してください。
死んじゃだめだ。必ずいつか我々死ぬから。俺も死ぬから。とことん生き抜こう。そして“自分はここに生きた”…そう思える毎日を送ってください。
ありがとうございました。最後、松山千春「凡庸」という曲で2020年、長きに渡りお付き合い、ありがとうございました。よいお年を。
松山千春「凡庸」
松山千春―「凡庸」
何もできないと思い悩むよりは
せめて悔いのない時を送ろう
「こんなはずじゃない」誰を責めてみても
すべて大切な私の人生
いつも歩いた私なりの日々よ
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
人は同じだけ風を感じている
同じ陽差し受け雨にうたれる
老いてゆくことも愛を語ることも
人は同じだけ夢を求める
いつも歩いた私なりの日々よ
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない