12月16日は楽聖と言われるベートーベンの誕生日だった。今年はベートーベン生誕250周年。

 

ベートーベンが残した言葉、「苦悩を突き抜け歓喜にいたれ」とは、学生時代に読んだロマン・ロランが著した「ベートーベンの生涯」の中に書かれている有名な言葉であり、折に触れ思い出す。

 

苦悩を真正面から捉え、その挑戦に応戦して行った先に、苦悩ありてこそ今の自分がいる、苦悩にさえ感謝できる深く大きな境涯を獲得することができる。それこそが歓喜なのだろう。

 

 

別のベートーベンの言葉に「自分に課せられていると感ぜられる創造を、全部やり遂げずにこの世を去ることはできない」とある。自分が為すべきことは誰から言われて行うことではない。自分で決めて自分で挑戦し、自分で成し遂げる。

 

特にこの時期、ベートーベン関連で言えば「第九」。この曲がウィーンで初演されたのは1824年5月7日という。当時ベートーヴェンは54歳。特筆すべきはこの時既にほとんど耳が聞こえていなかったということ。聴覚を失っても「自分に課せられていると感ぜざる創造」をやめなかった。むしろ、その逆境がなければ、「第九」は生まれていなかったかもしれない。

 

「年末に第九を」というアイデアが生まれたのは1918年のことらしい。第一次世界大戦後、平和を願う声が高まったドイツのライプツィヒで始まり、その後は名門オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、毎年の大晦日に「第九」を演奏し続けてきたようである。

 

日本では第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、日本交響楽団(現・NHK交響楽団)が、12月に3日連続の「第九コンサート」を行って以来、年末に「第九」を演奏する習慣へと受け継がれているという。

 

「第九」の歌詞はドイツの詩人・シラーのもの。それとベートーベンの曲が融合した。

 

「もっと喜びに溢れるものを歌おう!」「自らの道を喜ばしく進め 英雄が勝利を目指すように」「抱き合おう、人々よ!この口づけを全世界に!」(歌詞はWikipediaから趣旨として抜粋)―あの迫力と躍動感溢れるメロディ、人々を鼓舞する歌詞ありてこそ、時代を超えて人々の心を打ち続け、歌い継がれているのだろう。

 

12月15日の日経新聞コラム「春秋」がベートーベンについて書いていた(以下)。ベートーベンにはとても追いつけないかもしれないけれど、自分の課題に挑み続けて、苦悩を突き抜け歓喜に至りたいものである。

 

あまりに偉大な先人は、没してなおも、後進の道を左右せずにはおかないようだ(春秋)
2020年12月15 日  日本経済新聞「春秋」 


 あまりに偉大な先人は、没してなおも、後進の道を左右せずにはおかないようだ。あすが生誕から250年となる楽聖、ベートーベン。「英雄」「運命」「田園」など残された9つの交響曲は、どれも他の追随を許さぬ傑作ぞろいで、続く作曲家には大きな壁となった。
▼例えば、「後継者」とも目されたブラームスは、名作の数々を意識しすぎたのか、最初の交響曲を完成させるまでに20年を超える歳月を費やした。一方、マーラーは自らの9番目の交響曲にはあえて番号を付けず「大地の歌」と題している。レジェンドと仰ぐ先達が「第9」を最後に世を去ったことを気にしていたようだ。
▼「苦悩の英雄」と称されもしたアーティストからの宿題をこなし、遺産を血肉として、その後の音楽史があった。そして、ベートーベンは私たちへもメッセージを投じている。だが、しかと答えられぬまま、時が流れているのではなかろうか。「抱きあおう、幾百万の人々よ」と第9の詞が呼びかけ、200年近くになる。
▼普遍的な友愛を歌い、現代に入ってからも、自由や連帯が勝ち取られるたび、高らかに奏でられてきた。コロナ禍で国や人々が孤立し、迷走しがちな今こそ、曲の輝きは増すように思える。楽聖と親交のあったドイツの詩人はこう言ったそうだ。「私たち人類は彼に追いつけるでしょうか」。解けない宿題にしたくはない