さだまさしの今年最後のコンサート(ツアー一環)は12月5日、6日の名古屋公演2DAYS。

名古屋国際会議場センチュリーホールで開催された。

 

そのリハーサルと公演中の様子、アンコールでさだまさしがステージに入る時の動画がいつものようにストーリーズとInstagramで公開されていた。

 

現在展開中のコンサートツアーは来年2月25日、iichikoグランシアタまで続く。

 

 

 

公演中のワンシーン (公式Instagramリンク)

 

アンコールでさだまさしがステージに入る時の動画 (公式Instagramリンク)

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読売新聞連載 [時代の証言者]現代の吟遊詩人 さだまさし

 

12月7日は第25回目「被災地支援 歌と基金で」   


さだまさしが被災地支援に携わるようになった経緯と、広益財団法人「風に立つライオン基金」の設立までを語っている。この記事に書かれていることがよく分かる。実際に被災地に行ってみれば、現地の人と話をしてみれば、分かることがたくさんある。

 

記事の下には、2011年9月に石巻市、日和山公園で開催された復興イベントでのさだまさしのステージ映像を挿入した。

 

この連載、今日(8日)が第26回目で最終回を迎えた。最終回分は明日取り上げたいと思っている。

 

 

 

 災害や病でうちひしがれている人のために何ができるか。今の僕にとって、とても重要なテーマです。
 苦い思い出があります。1995年の阪神大震災の時、被災地に飛んでいきたかったのに行けませんでした。映画製作で抱えた多額な借金を返済するため、ぎっちり仕事を詰め込んでいたためです。多くの著名人が被災地支援で動く中、何もしない僕を知人がなじった時、声を荒らげて自分の事情をぶちまけてしまいました。
 その問題がほぼ片付いていた2011年、東日本大震災が起こりました。
 《2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源に、マグニチュード9・0の地震が起きた。大規模な津波が発生し、岩手、宮城、福島県を中心に、1万8000人を超える死者・行方不明者が出た》
 少したってから、笑福亭鶴瓶さんに誘われ、宮城の石巻に入りました。ガソリンスタンドに押しつぶされた3軒の民家が折り重なっているといった惨状を目の当たりにして愕然(がくぜん)としました。避難所となっていた洞源院という寺の本堂に行き、鶴瓶さんが落語を僕が歌を数曲披露しました。びっしりと人が集まる中、「関白失脚」を歌うと、最後の「がんばれ がんばれ がんばれ みんな」を手拍子しながら大合唱してくれるのです。前に座っていた子供たちは笑いながら、後方の大人たちは泣きながら……。
 そうか、苦しい時だからエンターテインメントが必要なんだ。そう気づいてから、暇を見て、避難所を回りました。1時間歌って移動。1日4、5か所回る。皆、うれしそうに歌を聴いてくれる。それがきっかけで大きな災害があると、現地に入るようになりました。
 15年に「風に立つライオン基金」という公益財団法人を設立しました。
 きっかけは1987年に遡ります。ケニアで巡回医療を行っていた柴田紘一郎医師に触発され、「風に立つライオン」という曲を作りました。過酷な現実の下、献身的に医療を行い、現地の人々に溶け込んでいく医師の姿をもっと克明に伝えたいと2013年に小説として出版し、2年後には映画化されました。柴田医師のように、志を持って海外で医療活動する日本人を支援しようというのが、基金当初の趣旨でした。
 でもその後も熊本地震や平成30年7月豪雨など国内で大災害が頻発し、被災地を訪ね歩く過程で、災害被災地の支援も行うようになりました。コンサートのたびに、基金の趣旨を話し、寄付を募る。収益を寄付するチャリティー・コンサートも毎年開いています。こうして集めた年間約5000万〜7000万円を支援活動に使います。
 今年のコロナ禍では福祉施設への感染防止講習の実施など新たな試みに乗り出しています。音楽を通しての支援と、物理的な支援を両輪にこれからも試行錯誤していくつもりです。(シンガー・ソングライター)

 

(2011年9月23日 宮城県石巻市、日和山公園でのさだまさしステージ)

 

 

(石巻市、日和山公園から。2017年8月11日筆者撮影)