<2022.6.10再掲>
<2020.12.1記事>


読売新聞連載(2020年)

[時代の証言者]現代の吟遊詩人 さだまさし

11月30日は第20回目『長崎から「大切な人」思う』 

 

故郷・長崎で1987年から開始し20回開催した無料コンサート「夏 長崎から」について、その開催理由や出演してくれたゲストなどについて語っている。

 

1988年には松山千春も出演しているが、そのことも掲載されている。以下はその時の映像(一部)。

 

 

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 原子爆弾の惨禍に見舞われた長崎で生まれ育った以上、音楽を通して長崎から平和の尊さを訴える責任があるという思いは常に抱えていました。それを形に出来たのが野外公演「夏 長崎から」でした。
 《人類史上初めての核兵器である原爆が1945年8月6日に広島、3日後に長崎に投下された。爆心地は一瞬にして焼き尽くされ、広島で約14万人、長崎で約7万人が犠牲となった》
 きっかけは、南こうせつさんが中心になって、86年8月5、6日に開かれた「広島ピースコンサート」に出演したことでした。「広島で出来ることをなぜ長崎でやらないんだ」。友人たちを前に嘆いたら、「それはお前がやらないからだろう」と言われたのです。機が熟したのだなと感じ、動き出しました。
 長崎選出の衆議院議員、西岡武夫さんに、「8月9日の長崎原爆忌に、平和を考えるコンサートを開きたいので、協力してください」とお願いすると、「理念はわかったが、8月9日はやめておけ」と諭されました。この日は保守、革新両陣営が長崎に集まり、騒然とした空気に包まれます。そんな中で公演しても埋没するだけだと言うのです。
 それならばと、広島原爆忌の8月6日に、長崎から広島に向かって平和を訴えるという趣旨にしました。でもあえて「平和コンサート」とうたいませんでした。陳腐な言葉に頼らず、思いを伝えたかったからです。出来るだけ多くの人に聴いてもらうため、無料にしました。継続は力。20回は続けようと心に決めました。
 第1回は87年、長崎市営松山ラグビー・サッカー場に4000人を集めて開かれました。来生たかおさんや村下孝蔵さんらがゲストとして参加してくれました。ささやかな謝礼しか払えないのに、2回目以降も松山千春さん、谷村新司さん、小田和正さん、都はるみさんをはじめ、多くのゲストが来てくれました。
 11回目からは加山雄三さんが毎年、出演してくれました。加山さんの「君といつまでも」は大好きで、ギターを覚えた時に最初に弾いた曲でした。僕をこの道に導いたとも言える憧れの人が協力してくれたのは本当にうれしかったですね。
 会場を稲佐山公園野外ステージに変え、3万人を集めるまでになりました。この公演で僕が毎年語りかけたことがあります。
 「このコンサートが終わるまでの間に、どうかあなたの大切な人の笑顔を思い浮かべてください。そしてその人の笑顔を守るために、自分が何を出来るか考えてみませんか」
 「夏 長崎から」は、最初に考えていた通り、20回目の2006年を最後としました。最終回、ずっと語りかけた言葉にこう付け加えました。
 「大切な人の笑顔を守るために何が出来るかわかったなら、行動を起こしましょう」(シンガー・ソングライター)

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