<2024.02.02>公式音源挿入
<2020.11.09>
昨晩(2020年11月8日)放送の「松山千春 ON THE RADIO」
番組の終盤、1995年に逝去されたお父様と、現在認知症で施設に入られているお母様について語った(以下ボールド)。松山千春らしい温かさが伝わるトークだった。
この流れでかける曲は??…瞬間的に自分の中で検索が始まる。
「父さん」はあまりにストレートすぎて、ないな。「あなたが僕を捜す時」かな?でも10月12日に既にかけているので、ない。
1回の番組で弾き語りは1曲だが、この流れで弾き語り2曲目へ、未発表の「父へ」(推題)を歌ってくれたら飛び上がるぐらい嬉しい…それも絶対にない。
もし自曲じゃなければ、井上陽水の「人生が二度あれば」かな??トークの終わり部分、内容からするともしかして「2020年の遺言」かな??
…で、かけたのは自曲の「自壊」(2007年)
確かにトークの内容から続いて「自壊」の歌詞世界に入っていくことはとても自然で、この歌しかない。歌にやけに説得力があった。それを遥かに通り越して、歌の世界に引きずり込まれてしまった。
重いテーマであっても、中島みゆきの「傾斜」🔗のように、
「としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか」
ぐらい明るく歌ってくれればよかったけど…。
私の中では「悲しい時には」「愛しているから」同様、歌の型としてはセリフが入っている歌は好まない。
「自壊」のセリフ、”壊れてく”のイントネーションが聴くたび気になる。何よりも重すぎて、暗すぎて。
松山千春のマイナー調の歌を好む方だと自覚しているけれど、ちょっとこれは暗すぎる。”このタイトルでこの内容を歌うのか…。しかもシングル。びっくりした。びっくりしたのは「挫折」(1992年)以来。
とは言え、昨夜の「自壊」、重ねて、説得力があった。
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(今日=8日の放送の)最後の曲は何にしようか、といった時に、マネージャーの元が「今日はお父さんの命日ですよ」。「おお、7日な」。11月7日。今から25年前か、1995年。父さん、80歳で、今考えたら、80歳、まだいけたかもしれないよな。糖尿病とあと痴ほう、認知症だな。ボケで。最後はずっと病院でもう分かんない状態だったからな。残念と言えば残念だったけど。
母さんは来年満100を迎えるんだけど、認知症で。俺が行っても全然分かってくれないし。他のスタッフが「千春さんが来たよ、千春さんが来てくれたよ。母さん、ミヨちゃん」って言っても全然…。
けど母さんが生きてんだな、笑ったり、飯食ったり。「おい、ミヨちゃん。お前が生んで苦労して育てた千春だぞ、今でも歌、歌ってるぞ」―その記憶はもうないのかも知れないけど、長生きしてくれよ。
どうやら、父さん、母さんともに認知症ということで、俺もいずれはそうなるのかもしれません。父さんは60代後半でぼけて来ました。母さんは80代ぐらいからな、まったく分からなくなりました。
自分が今年65を迎えます。はたしていつまでこうやってラジオで、“リスナーの方が聴いている”ということをしっかり分かりながらしゃべっていられるか…頑張りたいと思います。
今年はコンサートもなかったから、お前たちに会えなかったから、誠に申し訳ないっていう思いで来年はコンサート、頑張りたいと思ってます。今回最後の曲は松山千春、俺の曲で「自壊」という曲を聴いていただきます。これは自分が壊れて行ってしまう、そんな思いで作った曲です。一週間お元気で、最後までありがとうございました。「自壊」
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やがて少しずつ 僕は壊れてく
何を 覚えてる 何を 忘れてる
もしも 君の事 忘れていても
そっと抱きしめて 壊れゆく僕を
きっと悲しみも きっと喜びも
わけもわからなく なってゆくのだろう
けれど君の事 愛した事は
そうさ胸の奥 奥にかくれてる
いつか突然に 叫び出す時も
遠く見つめても それは未来じゃない
何の意味も無く 怯えていたら
きっと生きている 僕は生きている
やがて少しずつ 僕は壊れてく
何も不思議じゃない 誰のせいでもない
一人はいやだな 情けないけど
そっと抱きしめて 壊れゆく僕を
そっと抱きしめて 君の腕の中