今夜(10月31日)のNHKスペシャルは「筒美京平からの贈りもの―天才作曲家の素顔―」
今月7日に八十歳で亡くなられた作曲家・筒美京平さんを特集していた。

「ブルーライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「木綿のハンカチーフ」「魅せられて」「ギンギラギンにさりげなく」…作曲家としてシングル総売り上げ枚数歴代1位、75,600,000枚。

同番組では「筒美作品=時代の賛歌(アンセム:anthem)」と名付けていた。
「ヒットに殉じる」―それが筒美さんの矜持だったという。「売れないけどいい曲、ではだめなんだ」とも。生み出す曲だけで勝負した。それはアレンジャーの仕事と思える領域だが、筒美さんは歌詞と歌詞の間の音にも拘ったという。


70年代前半になると、荒井由実や井上陽水など新しい感覚の才能が次々と登場してきた。フォークソング、シンガーソングライターという言葉が象徴するように、彼らは自ら作詞作曲を行い、時代を生きる若者の心情を歌った。その時代の流れに筒美さんはどう対応したのか。

筒美作品の編曲家である船山基紀さんは言う。


「京平先生はその時代を捉えるために、その時代のアレンジャー(編曲家)だったり、ミュージシャンだったりを起用していく」


その流れの中で、作詞家・松本隆さんと組んで「木綿のハンカチーフ」を生み出した。

アイドル全盛となった80年代。歌手としての力量がそれぞれ異なるアイドルの楽曲を次々と手がけ、ヒットさせていった。

 

斉藤由貴「卒業」、少年隊「仮面舞踏会」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、早見優「夏色のナンシー」、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」、本田美奈子「1986年のマリリン」…結果として、アイドル全盛時代を筒美さんが作っていった、とまで言われた。

前出の船山さんは「見事にアイドル一人一人にまったく違う曲を持ってきて、絶対にかぶらない。その違いを音で表現なさった」(要旨)と感嘆していた。

80年代はまたYMOをはじめとしたコンピューターとシンセサイザーなどを用いた新しい音楽の潮流が起こった時代でもあった。音楽プロデューサーの本間昭光さんは「新しい音楽が生まれる時には必ず新しい楽器の発展が絡む。そういう時代の流れを京平先生は見逃さない」(要旨)と語る。

その象徴がCCB。筒美さんは解散目前だったCCBを見出し、「日本のロックバンドを育てる」(松本隆さん)つもりで関わっていった。とくにCCBのメインボーカルではなかったドラムの笠 浩二さんの声(声質)を重要視し、歌わせた。

 

笠さんが、筒美さんが作曲した「Romanticが止まらない」のメロディの一部を変えた時も、「自分が歌いやすいところで歌っていけばいい」とそれを認めた。
 

前述の本間さんは、当時の筒美さんの言葉を伝える。

 

「若い人の感覚のほうが時代に合っているんだよね」。

 

筒美さんは若者の感覚を大切にし、取り入れた。本間さんは言う。「新しい才能と一緒に新しい音楽を作りたい、というのが当時の筒美先生の考え方だった」(要旨)。

筒美作品の編曲家である荻田光雄氏は「筒美先生は日本の音楽シーンの2歩も3歩も先をいっている方。”歌は世につれ 世は歌につれ”という言葉があるが、まさに”世は筒美京平の歌につれ”だった」(要旨)と称えた。

90年代に入り、いわゆる”小室サウンド”が世に溢れた。その時代の流れの早さに戸惑う筒美さんの肉声を紹介していた。

 

「びっくりした、自分たちでもね。我々みたいな職業作家の名前がベスト10からぱっと消えた。本当にあっという間に消えた。日本の文化というか、そういうのが変わり目に来ていたんだろうね。時代がいつでも先に行って、時代が作家を選んでいくことだな、とつくづく思いました」(音声まま)。

あの時代に抗う中で生み出した曲として、NOKKOの「人魚」を紹介し、彼女が歌うシーンを流した。この当時筒美さんが語っていたという。「もっと曲を頼んでほしい。プレッシャーの中で名曲は生まれる」

約半世紀にわたり筒美さんとともに楽曲を生み出してきた作詞家の松本隆さんが語っていた。

「京平さんに関しては心残りって全然ないよ。すべて教わったし、会話もしたし。生きたしね。心残りはない。もう一度会いたかったっていうだけ。僕は会いたかったよ。手を包んであげたい」

番組の最後に筒美さんが最晩年に作曲した未発表曲を紹介していた。筒美さんはこの曲に「Pale Moon」、淡い月、というタイトルをつけた。この曲とともに番組が終わった。

 

世に送り出した曲は2700曲。作曲家としの矜持は譲らず、しかし時代の息吹を感じそれを柔軟に取り入れて来た。取り入れ、自分の曲の世界に昇華することで時代に抗い戦っていたかのようである。

 

スケールの大きな人、大きな仕事を残した人の人生に触れ、生き方に学ぶところは大きい。書物で言えば、偉人の生涯をたどったものであったり、歴史書だったり。一冊の偉人伝を読んだような、いい50分間だった。

 

(10月31日のブルームーン 友人撮影)