<2023.9.5>公式ライブ映像、同音源等挿入、一部加筆

<2020.10.21記事>

 

松山千春は(2020年)10月18日放送の自身のラジオ番組の中で、

 

「私がこうやってSTVで、ラジオで弾き語りするのはアマチュアの時からですからね。慣れてると言えば慣れてる感じがしますけどね。今日の曲は、ちょっと古い曲でね、私が22、あったんだぞ私も22歳の時が。デビューした頃から聴いてくれていたみんなならわかる曲です」

 

と語ったあと「ピエロ」を弾き語りした。

 

☟その時の音源

 

 

当たり前だけど声質も歌い方も、ギターも、WHO定義の「高齢者」(65歳以上)直前の64歳の松山千春のそれだった。

 

嬉しかった。弾き語りがまだ自分の中で響いていて、昨晩(2020年10月20日)も自分の部屋で「ピエロ」、弾き語った。

 

 

気に入っている歌ではあるけれど、とにかくこれまでコンサートで歌われる頻度が高すぎて。この年代の曲を「懐かしい歌を」と言って第一部で歌うのであれば、それこそ「貴方のことで」などを歌って欲しい。

 

近いところでは2022年春のツアーで歌っている(以下その時の公式ライブ映像)。

 

【松山千春コンサート・ツアー2022 】
6/17 リンクステーションホール青森

 

 

ファンのみなさんはご存知のとおり、「ピエロ」は1978年にリリースされた松山千春のサードアルバム『歩き続ける時』のA面4曲目に収録されている。今から42年も前。

 

 

このアルバムは全曲が名曲と言っていいほどで、松山千春がリリースしている全アルバム中、私の中でいまだに最高峰に位置している。

 

ギターを覚えた中学時代から「ピエロ」もよくコピーした。ギターのコード進行(メロディ)はEm→Am7→D7→G→B7→Emと松山千春の超定番。

 

 

 

 

「へたな唄で悪いけれど 君のために歌うよ

僕の声で涙なんて 吹き飛ばされてしまう」

 

「もしも君が悲しい時 僕はすぐに飛んで行き

できることはまだ同じ へたな唄を歌うこと」

 

 

「君のために作った歌」「おやすみ」「君が好きさ」「青春」など初期の松山千春歌詞によくある、聴いているこちらが恥ずかしくなるような、こちらが年齢を重ねれば重ねるほどそう感じる、純といえば純、ど真ん中ストレートな歌詞。とはいえ、結構気に入っている。

 

現在では「ピエロ」というあの存在がどれほど人々の身近にいるのかは分からないが、「ピエロ」という言葉自体、私の中では非日常的で前時代的な雰囲気を漂わせている。

一般的な定義としての「ピエロ」=”格好や言葉、行動などで他人を楽しませ喜ばせる人”を採用すれば、そういう存在は今もいるのだろう。

 

 

1988年2月13日NHK-FMで、前年の12月2日、東京厚生年金会館で行われた「松山千春コンサートツアー'87 春夏秋冬」の模様が放送された。実家の山梨で聴き入った。

 

放送の約1か月後に母が逝去するので、闘病最終盤、父も妹も私も心身ともに疲れ果てていた。その時に聞こえてきたオープニングの「大空と大地の中で」には本当に勇気づけられた。それは今でも鮮明に覚えている。

 

カセットテープに録音していて今も残っているが、再生機器がもうない。

 

このライブ(放送)の中で「ピエロ」を弾き語りで歌っている。この歌い方、ギターの弾き方に衝撃を受けて、それ以降、昨晩も、自分で弾き語りする時には常にこれ。

 

 

今回(2020年10月18日)のラジオでの弾き語りの「ピエロ」を聴きながら―

 

若者、22歳の松山千春が作った(歌った)ピュアなラブソングだけど、聴くたびに、自分で弾き語りするたびに、歌の向こうから、ギターを覚えたての中学時代の自分や、今はもうない山梨の実家が駆け寄ってくるような感覚がある。母のがんとの闘病最終盤の様子が蘇ってくる。

 

―歳月にして約40年の時代を瞬間的に超えて今また思い出す。

 

歌は単独ではそうなるものではなく、そこにまとっているその当時の人々の、自分自身の幾つものシーンがあって初めて時代を超えてゆくのだろう。

 

夢野旅人さんブログから

「ツアー1987 春夏秋冬」オンエアリスト