(北海道札幌)

 

今日(9月2日)の夕方、激しい雨の後、日が差し始めた。虹が出るんじゃないか?と思って慌てて外に出てしばらく空を見上げていたが、結局出なかった。

 

職場の部下たちからも「虹を楽しみにしている人は珍しいですよ」と言われた(苦笑)。

 

今年の夏は友人たちがよく虹の写真をアップしていた。それも全部見事な半円を描き、これこそ虹という形状(こう言うかどうか?)だった。

 

小学生の頃以来そうした見事な虹を見たことがない。

 

(神奈川県厚木)

 

この間まで移動の車中で松山千春アルバム『明日のために』(1985年)を聴いていたこともあって、「虹のかなた」が聴こえてくる、口ずさむ。

 

このアルバムを聴くと、いつでも1985年、高校3年の時のすべてのシーンをまるごと連れて来る。一日8時間、10時間、猛勉強する合間の休憩時間にはこのアルバムばかり聴いていた。

 

 

大学受験勉強、勉強を応援してくれた両親と両親の声、今はなき生まれ育った家、高校での友だちとのシーン、学園祭、松山千春らが設立したNEWSレコードの倒産、山梨県民文化ホールで松山千春とファンの皆さんと一緒に涙しながら大合唱した「旅立ち」…。一生忘れないであろうシーンばかり。

 

「虹のかなた」の詞とメロディ、アレンジから伝わる哀愁、切なさ、懐かしさ。ふと感じる温もり。

 

「ごらん友よ 戻らない日々は虹のかなたか

つかのまの青春と笑う」

 

あれらの日々は遠い遠い虹のかなた、つかの間の青春だったかもしれないが、今も生き続ける、宝のような日々。たった4分27秒の曲の中に35年前の無数のシーンが凝縮されている。

 

いつも身近に置き、いつでも開けるようにしている自分にとっての指針となる大切な一冊を”座右の書”と言うが、「虹のかなた」は私にとっての”座右の歌”である。

 

 

 

友よ 今 聴こえてる 腕をくみ 歌った 
あの頃は 若さと 自信に満ちていた 

 

空高く とどくなら 声かぎり 歌った 
哀しみも 悩みも 吹き飛ばすくらいに 

ごらん友よ もどらない 日々は虹のかなたか 
つかのまの 青春と 笑う 

友よ まだ れない 涙ぐみ 歌った 
恋も 夢もすべてを 思い出にする朝 

 

それぞれの 望み持ち それぞれの道へと
肩たたき 別れた ちぎれるほど手をふった
 
ごらん友よ もどらない 日々は虹のかなたか 
つかのまの 青春と 笑う 

友よ 今 聴こえてる 腕をくみ 歌った 
あの頃は 若さと 自信に満ちていた 

ごらん友よ もどらない 日々は虹のかなたか 
つかのまの 青春と 笑う

 

(神奈川県 三浦半島から)