2020年7月17日朝日新聞 東京
「甲子園なき夏」が始まった。第102回全国高校野球選手権大会の中止を受け、各地で独自大会が開かれている。しかし、その勝利の先に憧れ続けた甲子園は、ない。高校野球を愛するシンガー・ソングライターのさだまさしさんが、夢を奪われた球児たちにエールを送る。
1点差で迎えた九回裏、2死二、三塁。セカンドに高々とフライが上がった――。ボールをつかめば試合終了。落としたら逆転サヨナラ。まさに、試合が決まる最後の打球です。
学校の応援、地元の期待、チームの誇り――。すべてが宿った、その白いボール。僕が二塁手だったら、捕れる自信がありません。しかし、勝ち進んでいった球児は平然と捕球します。この何でもないプレーのために、どれほどの修羅場をくぐってきたか。
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甲子園の夢が、かなう、かなわないは別として、その存在は、全国の球児の心の支えです。勝利の先の甲子園をめざして、どれほどの努力を重ねてきたか。
夏の甲子園の開会式を毎年必ず見てきました。全国から集まった選手たちは場内を1周し、外野に横一線に並ぶ。そして、一斉に前進してくる。あの姿に、毎年泣いてしまう。
場内に流れる、日本の夏のテーマ曲ともいえる「栄冠は君に輝く」。内野まで選手が前進し、演奏が止まった瞬間、「お前たち、もう戦わなくていいんじゃないか」と思ってしまう。ここでジュースで乾杯して、別れようぜって。
しかし、もちろん彼らは戦う。たった1校の「全国制覇」を目指して。
各地で独自大会が開催されることになりましたが、彼らが夢みてきた夏の選手権大会は、失われました。
かつて「甲子園」という歌を作りました(1983年発表のアルバム『風のおもかげ』に収録)。夏の高校野球は全国制覇の1校を除き、全ての学校が敗れ去る。しかし、負けるのは1度だけ。そんな歌です。
でも、この夏の球児たちは、甲子園という夢を追いかけるチャンスすら与えられませんでした。
夢が、目の前から消えてしまった。僕らには想像できない喪失感、さみしさ、苦しさだと思います。
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17、18歳の高校3年生にとって、幼い頃から追いかけてきた甲子園は、「人生のすべて」ではないでしょうか。そんな彼らに、いまこんなことを言っても、理解してもらえないかもしれません。でも――。
「あの時に甲子園がなくなったから、俺はいま、ここにいるんだ」。いつか、そう誇れる人生になることを祈っています。人生は本当に長いので、いまこの瞬間の悔しさも、やがて笑える時が来ます。必ず。
去年2月、「存在理由~Raison d’etre~」という歌を作りました。良い知らせばかりではないテレビのニュース速報に、《わたしは諦めない》《あなたを護(まも)るために わたしに何が出来るだろう》と歌詞に書きました。
歌を作ったとき、いまのコロナ禍を予知していたわけではありませんが、自分たちの夢と引き換えに社会を守ろうとしている今年の高校3年生に、この歌を届けたい。コロナ禍は起きてしまいましたが、この先の人生を諦めないでほしい。
今夏の大会の中止が決まる前、僕は「たとえ中止になっても、今年を飛ばして来年を『102回大会』と数えてほしくはない」と思っていました。
来年は「103回大会」になると聞きました。
「甲子園なき夏」が、始まりました。しかし、今年の球児たちの、君たちの、第102回全国高等学校野球選手権大会と、その地方大会は確かに存在したのです。
頂点をめざし、たった1度だけ負けるチャンスすら与えられませんでした。しかし――。
君たちは、誰も負けなかったのです。(聞き手・抜井規泰)
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「存在理由~Raison d’etre~」(さだまさし)
あなたの無事を祈りながら
今日も一日が暮れてゆく
ふとテレビのニュース速報
良い知らせばかりじゃないから
少しだけ不安に心が波立つよ
もしも何かが起きてしまっても
わたしは諦めないと思う
どこかで誰かが傷つき
どこかで誰かに救われ
ささやかに生きているのだから
あなたを護るために
わたしに何が出来るだろう
迷いに迷う季節の中で
わたしの存在理由は
あなたの明日の
笑顔を曇らせぬように
神様は何故善悪の二つを
わざわざ造り給うたのだろう
せめてどちらかの一つに
決めてしまわれたのならば
誰も苦しまずに済んだろうか
あなたを護るために
わたしに何が出来るだろう
彷徨う時の流れの中で
わたしの存在理由は
あなたの未来の
笑顔が続きますように
あなたを護るために
わたしに何が出来るだろう
あなたの無事を祈りながら
明日も一日が過ぎてゆく