<2023.1.29記事>

 

2023年1月29日放送の「松山千春 ON THR RADIO」で、1月28日、元横綱・白鵬の断髪式に参加しハサミを入れたことについて語り、「白鵬の断髪式でありながら、親友、千代の富士を思った」という。

 

その流れで、千代の富士に頼まれて作った自身の「燃える涙」をかけた。

 

「燃える涙」(2018年弾き語りVer.)

 

 

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<2022.7.31記事>

 

 

  (2022年)7月31日
「松山千春 ON THE RADIO」

 

この日が、松山千春と同郷、同年齢で親友だった横綱・千代の富士の命日(2016年7月31日すい臓がんで逝去/享年六十一)だったことから、千代の富士を偲び語った。

 

またその後、1991年6月2日の第1部から第3部の1992年10月11日まで、3部8回に渡ってフジテレビ系列で放映された「千代の富士物語」の主題歌として、千代の富士からの依頼で作った自身の「燃える涙」をかけた。

 

その語りは後日掲載予定。

 

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<2020.7.9記事>

 

 

(2020年)7月8日の東スポWeb連載【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(12)】では、2016年7月31日に61歳で急死 「小さな大横綱」千代の富士の壮絶な最期 と題して、横綱・千代の富士を取り上げていた。

 

(記事一部抜粋)

2016年7月31日、第58代横綱千代の富士の九重親方(当時)が61歳でこの世を去った。現役時代に優勝31回など数々の記録を打ち立て、大相撲で初となる国民栄誉賞を受賞。「ウルフ」の愛称で親しまれた大横綱の急死は、角界内外に大きな衝撃を与えた。創刊60周年を迎えた本紙連載「フラッシュバック」では、亡くなる直前まで人知れず闘病を続け、自らの職責を全うしようとした「小さな大横綱」の壮絶な最期を振り返る。 

 

8月6、7日に営まれた通夜・告別式には親交が深かった歌手の松山千春をはじめ、アントニオ猪木氏(元プロレスラー)、釜本邦茂氏(元サッカー日本代表)、原辰徳氏(プロ野球巨人監督)ら多くの著名人も参列。角界内外は大きな喪失感に包まれた。

 

どなたが書いた記事かは分からないが、骨太で魂こもる文章で千代の富士を偲んでいた。

 

 

2016年8月8日、日本武道館。「松山千春デビュー40周年記念弾き語りライブ」

その2日前に参列した千代の富士の通夜のことを語り始めた。当日、武道館ではもっと長く語っていたが、リリースされている同ライブDVDではほぼ以下のとおり収録されている。

 

「昨日、一昨日と東京にいました。東京に三日間いるというのも久しぶりなんだけど。何と言っても親友だった横綱・千代の富士、秋元貢。貢の通夜・葬式がありましたので。あまりにも早く貢は死んじゃったよなぁ」

 

武道館では「お前はまだ俺たちの中で生きている。冥福は祈らんぞ」とも語っていた。

 

(2016年8月7日サンスポ/九重親方=千代の富士の通夜にて)


 

2016年10月1日には「第58代横綱千代の富士 お別れ会」が両国国技館で行われ、総数約5,000人が横綱・千代の富士を偲んだ。ここにも松山千春が参列した。

 

 

弔辞で「貢、お前は俺たちにとってすべてが誇りです。お前のご冥福は祈らない。もう1回、立ち上がってくれ。もう1回、あの勇姿を見せてくれよ」(抜粋・要旨)と語りかけ、千代の富士のことを歌った自身の「燃える涙」を熱唱した。この歌は、ドラマ「千代の富士物語」のエンディング曲に使われている。

 

観られた方が多いと思うが、以下がその時の映像(一部)で、1分25秒時点から松山千春の弔辞と「燃える涙」歌唱シーンと続く。

 

 

松山千春コンサート・ツアー2018「弾き語り」

 

2018年5月9日、東京国際フォーラム初日。ゴダンギターでゆっくりとしたアルペジオから始まった「燃える涙」。

歌うとまったく予想していなかったので、突如大音量で飛び込んできたような大きなインパクトがあった。聴いていて幸せな気持ちになった。聴きながら、上に書いたシーンなどが一気に蘇った。

 

幸せへとたどり着く 近道は知らない
限りのない毎日に 悔いは残さない

喜びと哀しみ 背中合わせ 
燃える涙は こぼれ落ち

 

(松山千春「燃える涙」)

 

朝、冒頭で紹介した東スポの記事を読んで、強かった横綱・千代の数々の取組や、松山千春とのシーンが思い出され、寂しさはあるが、どこか温かな気持ちになった。