5月9日の松山千春のラジオ番組で「東京」を3曲かけた。マイ・ペースの「東京」、やしきたじんの「東京」、松山千春の「東京」。
2008年8月29日、大阪城ホールで行われた読売テレビ50周年ライブでやしきたかじんと松山千春が、やしきたかじんの「東京」を歌っている。以下のその映像。
去年の7月4日に以下の記事を掲載した。多くのミュージシャンが歌う「東京」が紹介され、歌詞に見られるミュージシャンの変化や成長を俯瞰している。その中に浜田省吾と長渕剛の「東京」に纏わる歌も紹介されている。
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“東京”はどのように歌われてきたのか (後編)
東京出身ミュージシャンにとっての東京と、地方出身ミュージシャンにとっての東京
タイトルに“東京”が含まれる曲から見る東京のイメージの変遷
2020年7月3日 音楽ナタリー
※記事中に、浜田省吾と長渕剛の”東京”に関する記事と歌詞が紹介されていたので、その部分を抜粋した。
グループサウンズやフォークのブーム以降、自作自演で音楽を奏でるミュージシャンが爆発的に増加した結果、“東京”を歌う歌詞はどんどん多様化していきました。平成に入るとバンドブームやCD時代の音楽業界の活性化に伴って、さらに多くのミュージシャンがデビューし、バンドが結成され、そして上京し、“東京”を歌うことになります。
前編では1980年頃までの東京像について書きましたが、後編では平成以降、J-POP時代に“東京”がどのように歌われているのか、その特徴を探っていきたいと思います。
地方出身ミュージシャンの変化と“東京”__________________
逆に、地方出身のミュージシャンについては、まさにこれまでに紹介してきたような“東京”の歌詞が何人もの手によって描かれているのですが、1人のミュージシャンにフォーカスすると、そのキャリアにおいて“東京”が付く楽曲を複数歌っている場合、彼がその時々でどのように東京を捉えていたかがわかります。2人のベテランミュージシャン、広島県出身の浜田省吾と鹿児島県出身の長渕剛の事例を見てみます。
浜田省吾が“東京”とタイトルに付いた楽曲をリリースしたのは、いずれもJ-POPの時代の前ではありますが、1978年の「グッドナイト・トーキョー」と80年の「東京」。たったの2年ですが、その落差は驚くほどです。
1978年 浜田省吾「グッドナイト・トーキョー」
Good Night Tokyo ざわめく街角
Good Night Tokyo 流れるイルミネーション
熱い通りを 醒めた男のロマン 駆け抜けてく この夜
1980年 浜田省吾「東京」
東京 俺をねじまげないで
東京 あの娘引き裂かないで
高速道路の下で生まれて
地下鉄の上で死んでいく
「グッドナイト・トーキョー」でも彼は決して東京をポジには捉えていませんが、「東京」の強烈なネガにはおよぶべくもありません。2年の間に何があったのか、ということなのですが、78年、3rdアルバム「Illumination」の頃の浜田省吾はまだ大ヒットを持たず、アイドル歌手などに楽曲提供しながら自身の楽曲を制作していた時期。自身のアルバムの音楽性についても、ロックミュージシャンというよりはシンガーソングライター的なニュアンスが強い時期でした。そして80年の「Home Bound」でようやく現在に至るロックサウンドを手に入れたのですが、そのリードシングルだったのがこの「東京」です。かつこの曲は沢田研二の「TOKIO」に触発されて、“ダークサイドの東京”をあえて書いたと本人も語った歌詞。そのような状況から、このようなハードで刺激的な詞になるのも必然だったと言えます。彼の音楽性の変化と、ほかのヒット曲からの影響によって生じた落差だったわけです。
長渕剛が“東京”と付く楽曲を歌ったのは91年の「東京青春朝焼物語」と、2009年の「東京」。ここでの彼には明らかな変化が見て取れます。
1991年 長渕剛「東京青春朝焼物語」
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
2009年 長渕剛「東京」
夢が東京の暮らしの中で
どうか消え失せてしまわぬように
傷つき泣く夜を数えたら
この日の太陽 忘れぬように
「東京青春朝焼物語」は、アルバム「JAPAN」の収録曲。すでにこの頃には彼は「乾杯」や「とんぼ」のヒットによってスターダムにのし上がってはいたのですが、それでもまだこういう“まだ東京になじめない”歌詞を書ける心持ちがあったということです。しかし、それから18年の時を経て書いた「東京」の歌詞は、“上京してくる人を気遣う”視点からなるものです。ミュージシャンとして独り立ちし、年長者になった今、過去の自分のような若いミュージシャンに対するいたわりの気持ちがそこにはあります。
東京は変化し続ける街ではありますが、首都・日本最大の都市としての位置付けはブレることはありません。東京をキーにした定点観測的な視点によって、上京し、さまざまな経験を積みながら活躍するミュージシャンの変化・成長を見届けることができます。そして調べれば逆に、希望を持って上京してきたミュージシャンが最後には絶望している、そんな悲しい変化も見られるのかもしれません。
(長渕剛「東京青春朝焼物語」)
(前編)
“東京”はどのように歌われてきたのか (前編) 現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した