(2021.06.07記事)

 

今日(2021年6月7日)の「松山千春 ON THE RADIO」

 

番組1時間ほぼ先月末発売の「週刊現代」(6月6日号)に掲載されていた「『熱討スタジアム』第364回 松山千春『長い夜』を語ろう 今週のディープ・ピープル コロッケ×島村英二×田家秀樹」の話題に終始していた。

 

 

「長い夜」の制作裏話、当時のライブでの話、そしてそれらにまつわる当時の松山千春の状況などについて、懐かしそうに語っていた。

 

この「週刊現代」の記事概要について、ちょうど5月30日に拙稿を残した。

 

 

1979年頃から1980年、1981年、1982年と、松山千春が本当の意味でスターダムに上り詰めるまで、松山千春が当時の音楽シーンに熱狂的に受け入れられていたあの時をリアルタイムで見て体感している私としても、当時を振り返り懐かしむ嬉しい時間だった。

 

今夜かけた曲は、「長い夜」が1位だった1981年7月時点の「ザ・ベストテン」でのランキングに入っていた2~4位までの3曲。「ルビーの指輪 /寺尾 聰(2位)」「夏の扉/松田聖子(3位)」「ハリケーン/  シャネルズ(4位)」、そして最後に「長い夜」。

 

今日も自身の曲をかけると思っていたので、ギターを準備して聴いた。「ルビーの指輪」はよかったが、「夏の扉」が始まり、一応ギターコードはPC画面に出したが、部屋で一人この歌に合わせて弾き語ろうとする自分自身がちょっと変だったので、やめた。

 

以下、番組でのトーク(要旨)

 

春のコンサートが新型コロナウィルスの影響でスケジュールがぶっ飛びまして、このあと9月から全国コンサートを回って行こうと思っているんですけど、3か月先のことはなかなか我々も、どうなっているかなぁ、と。我々としては(コロナウィルスが)収まってね、メンバー、スタッフ、みんなで楽しく全国回っていきたいなと思っていますしね。

今年も春のツアーは残念でしたけど、秋は9月、宮崎からスタートします。無事コンサートができますように。

 

鈴木宗男さんが、「週刊現代」に松山千春の記事が載っていることを伝えてきてくれたことについて。

 

”お前の記事が載っているぞ””宗男さん、俺また何かやらかしました?”と思ったら、俺の「長い夜」をめぐっての記事。買って読んでみたら「松山千春『長い夜』を語ろう 今週のディープ・ピープル」、コロッケと島ちゃん(島村英二:ドラマー)、音楽評論家の田家さん(田家秀樹)が、俺の「長い夜」についていろいろ語ってくれるんですけど。全部ほんとのことです。島ちゃんにはこのレコーディングの時とその後のコンサートツアーの時もドラムをたたいてもらいましたから。田家さんはデビュー当時からインタビューしてれていた。面白い記事だと思う。

 

記事の見出しがいきなり、『ルビーの指輪』を蹴落とす、から始まる。俺は蹴落とした覚えはない。そんな失礼なことを寺尾さんにした覚えはない。

 

1981年、昭和56年、「ザ・ベストテン」という番組で、7月2日から「長い夜」が1位になった。そういうことを面白おかしく三人が語ってくれています。

 

「週刊現代」で取り上げてくれた「長い夜」。後で聞いていただこうと思うけど。

今回は作った本人がしゃべり倒す。25歳。あったんだぞ、俺にもそういう時が。髪がふさふさありましてね。ちょっと髪が寂し気になって来た時に、髪が増えたように見えるからということでパーマをかけた。

 

あの当時の私をご存知の方々も今回こうしてラジオで聴いてくれているかもしれませんが…。なぁ。コンサートでとくに「長い夜」を歌うと、頑張って頑張って、汗だらだらだしなぁ。まあ俺も若かったけど、当然お客さんも若かったから。どれほど盛り上がったかだよな。そんな中、今回三人が「長い夜」を語ろうと言ってね、こうやって書いてくれましたけどね。

 

まぁ、覚えてますね。(「長い夜」のレコーディングで)スタジオに入って、初めにリズム、”千春、テンポをもっと上げようか””俺はどんなテンポでも大丈夫ですよ”。そしたら松つぁん(故・松原正樹さん)、エレキギター、あの当時のほとんどの曲は松つぁんがエレキギターを弾いていた。その松つぁんがイントロ、あのフレーズを弾いて、”千春、こんな感じでいいかな?”任せましたから”。その後、松つぁんとも全国、旅をしたなぁ。当時のメンバーは強烈な個性を持った連中ばかりでしたからね。

 

いやぁ、思い出しますね。あれから私もいろんなことがありましたし。

「長い夜」。作った時とは全然テンポも雰囲気も変わりましてね。”なんならバラードにするか?”そんな感じの曲だったんですよ。1981年、25歳、勢いがあったな。レコーディングスタジオに入って、アレンジヤーが大原茂人さん、エレキギター松原正樹、ドラムが島村英二、キーボードが大原さん、ベースが長岡道夫、このメンバーで唯一、元気に演奏しているのは島ちゃん(島村英二さん)ぐらいだな、スタジオで会うとしたら。当時のアコースティックギターは笛吹ちゃん(笛吹利明)。まぁ、当時25歳。おい!あの「長い夜」から40年ですよ!

 

今回、またこうしてラジオでお会いすることが出来て。「長い夜」を聴いていただこうと思うんですが、ここまで引っ張って、番組が始まってもう48分も経っているのにまだイントロも出ず(笑)。

イントロはエレキギター松つぁんが考えたフレーズで、コンサートに出て「長い夜」が始まると、みんなが一斉に立ち上がって、あの熱気はやっぱり25歳の俺にはとても心地よい。

 

ステージの左右前後動き回って。基本的にはギターを弾いて歌いますから、「長い夜」をリリースした頃から、マイクを持って、とくにアンコールはステージ中あっちこっち行って。正直、あの時の動きは何だったんだ?と言われたら、あれはお客さんが一緒になって踊ってくれてる。そういう思いでああいうアクションになったんだと思いますよ。基本的にフォークシンガーですから、フォークシンガーがマイク持ってあっちこっち行って叫んでいてはいけませんよね(笑)。まぁ、それが楽しかったのかどうか、お客さんも喜んでくれたかどうか。

 

(松山千春「長い夜」 

1981年6月日比谷野外大音楽堂/「ザ・ベストテン」放映)

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