その国の精神風土という点で言えば、海外諸国に比べてまだまだ日本は均質性の高いモノカルチャーの国だろう。均質性が高いがゆえにちょっとした差、他との異なりが、大きな差や違いに見えてしまう。多くの他者と違うことが言いにくい、やりにくい。

 

日本が均質性が高い国であることに関連して、日本人は強い「同調圧力」を持っているように思う。無意識のうちに、むしろ純粋性さえ伴いながら自分と同じ感覚、行動を他者に求める。

 

それは自分の基準に合わせて他者を変えようとすることに繋がる。行き過ぎると、自分の基準だけが正義となり、それを基準にして他者に対して攻撃性のある行動に出る場合もある。

 

そうした均質性や同調圧力は、匿名性のもと全員が発信者と言ってもいいこのネット社会において何倍、何十倍にも広がり増幅される。それは人を生きにくくし、時に人を追い詰める。

 

「何が良くて 何が悪い 誰も教えてはくれないし」(松山千春「叫び」)―善も悪もないところにそれを持ち込んで決めつけたり、善悪が倒錯して事の本質が見えなくなる。

 

「苦しいことなら 早く逃げ出そう」(同)―”逃げるが勝ち”という時だってある。すぐにそこから逃げられない、退場できない、ということも時代の同調圧力のひとつなのかもしれないが、ともあれ自分を守るためにそこから逃げることも必要な時がある。

 

松山千春がこうした時代の到来を予見していたかどうかは分からないが、少なくともあの当時その端緒を感じ取っていたのかもしれない。1997年に『叫び』というアルバムをリリースし、7曲目にタイトル曲として「叫び」を残している。

 

(2010年3月29日 東京厚生年金会館・ファイナリストライブ)

 

1997年12月にライブで聴いた。当時はまだ東京公演は新宿の東京厚生年金会館だった。チケットチェックを終えて、階段を上ってドアを開けるとすぐにステージの緞帳が目に飛び込んで来るあの瞬間が好きだった。

 

今はもうないが、何度も足を運んだ東京厚生年金会館は松山千春のライブと切っても切れない思い出がある。

 

ともあれ、複数の人がまったく同じ考え方を持つことはない。それぞれの生き方や考え方がある。それを受け入れ認め合って生きていくような社会を、せめて自分の周りにだけは作りたいと願い、自身の修行のように挑戦している。

 

Baby 届かないの この叫び声が
Baby いつになれば 気付いてくれるの

心にかかえた いくつもの不安
怯えているのさ 今日も一人で だから

Baby 助けとくれ お前の力で
Baby 強がるには 疲れ過ぎている


Baby 信じただけ 裏切られてゆく
Baby 傷は深い 生き急がなけりゃ

全ては 自由さ 楽しむことも
苦しいことなら 早く逃げ出そう だから

Baby 助けとくれ お前の力で
Baby 強がるには 疲れ過ぎている

何が良くて 何が悪い 誰も教えてはくれないし
幸せとか 不幸せとか 誰もみせてはくれないし だから

Baby 届かないの この叫び声が
Baby いつになれば 気付いてくれるの

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2020..6.5記事

2021.6.6再掲