ちょうど本稿を書き終えた19:00前、速報が入った。

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、拉致被害者家族連絡会の初代代表を務めた横田滋さんが老衰のため死去された。2018年4月から入院生活が続いていたという。享年八十七。どれほど無念だったでしょう。どれほど悔しかったでしょう。御冥福を心よりお祈り申し上げます。

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松山千春コンサート・ツアー2018「ことば」。
2018年11月14日、東京国際フォーラムでのライブで「帰り道」を歌う前に語った。
 

「俺はこれまで、一日たりとも無駄な一日は過ごしていない。喜びの日も悲しみの日も、無駄な一日はなかった。今もそうだ。
小学5年生の時の松山千春は、どんなに貧乏だったとしても、父と母に誇りを抱いていました。みんなはその時何を望んでいましたか?
今日集まってくれたみんなひとりひとりのことを、誇りに思ってくれている人が必ずいる」

 

本当にそうだと思う。

 

みな、かけがえのない毎日を一生懸命生きている。そしてその人を命に代えても守りたいと思っている人たちがいる。そのことが心から分かれば、その人が生きるに堪え難いほど批難中傷を加えることなんでできるはずがない。

 

脇目も振らずに、必死に真っ直ぐこの道を歩いて来た。

ここまでやって来られたのも、父や母、家族をはじめ、周囲の人たちの応援があったからこそ。年齢を重ねれば重ねるほどそれを実感する。

人それぞれ、気づくタイミングがある。目覚めるきっかけがある。

その時点まで歩いて、多くのことを経験したからこそ気づくものがある。むしろ、その時点まで来ないと気づかなかったことなのかも知れない。

それに気づいた時、今度は今頃気づいたことに落ち込むこともあった。

時間がかかり過ぎた…。遠回りした…。

そんなことはない。気づいた時が、その人にとって一番良い目覚めの時。
すぐそばにある。自分に心をかけ続けてくださった人たちの心に目覚める。感謝が生まれる。

そして、大切なものはひとりひとりの中にある。人には自分でも自覚しきれないほどの大きな可能性が秘められている。それに目覚める。すぐそばにある。

松山千春が2017年10月に残した「目覚め」アルバム『愛がすべて』収録)、2017年11月15日、東京国際フォーラムで聴いた「目覚め」は、周囲の人々が自分にかけてくれた心と、自分の中にある可能性、この二つに目覚めよと歌っているのだろう。




 

ひたすら この道 歩いたんだね
真っすぐ 寄り道 ひとつもせずに
フーフフフー フーフフフー 君は

もちろん あてなど ありはしないね
ましてや 自分が どれ程なのか
フーフフフー フーフフフー 君は

捜しものしているの それより君は忘れてる

大切なもの すぐそばにある
気付いておくれ 目覚めなさい


今日まで 歩いた 道はどれ程
勇気と 希望を 与えてくれた
フーフフフー フーフフフー 君に

故郷 友達 兄弟そして
父親 母親 愛をそそいだ
フーフフフー フーフフフー 君に

遠まわりして来たね それより君は忘れてる

大切なもの すぐそばにある
気付いておくれ 目覚めなさい

大切なもの すぐそばにある
気付いておくれ 目覚めなさい

 

 

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【撮影者】@yamachan.zさん
【撮影日時】2020-04
【撮影場所】愛知県