流れる季節を感じて風の歌は歌えないが、朝から口ずさむ松山千春「全てです」
アルバム『笑っていたい』(1998年10月リリース)の2曲目。

 

メロディー、歌詞、アレンジ…松山千春の世界そのもの。スリーフィンガーのアコースティックギターが響く。アルバム全体でミュージシャンを記載しているので曲ごとには分からないが、アコースティックギターで笛吹利明氏も名を連ねている。

アルバムの中にひっそりと存在しているラブソング…松山千春の旬な選曲基準で言えばこの歌もそれに当たるような気がするが、コレクション『思い出』には収録されていない。

 

ステージで松山千春が歌い、それを客席で聴くあの空間によく合うような気がしているし、その場を望んでいるが、リリース以来22年、まだ一度もライブで歌われたことが確認されていない(夢野旅人さんDBから)

 

この歌の中の「僕」は、失敗や挫折を経験して、それを自分の中で捉え直し昇華しつつある頃か。

 

失敗や挫折は本当に骨身にしみる。情けなくて仕方ないほどの、どうしようもないほどの、小さな小さな自分をまじまじと見るものである。”他に何もない…”。

 

失敗や挫折を他人や環境のせいにしているうちはそうはならないが、そこで真っ直ぐ自分自身と向き合う時、その失敗や挫折に意味を見出し、自分の糧として捉えられるようになってくる。

 

その過程で、

「流れる時間を感じているよ 生きることの楽しさを」

というという心境になる。

 

順境の中で突っ走っている時には決して見えないものが見えてくる。

 

これまで気づかなかった自分の別の一面が開拓され、自分自身がそれを発見する。

周囲に対して優しくなれる。人間的に懐が深く、大きくなっていく。

新しい本当の自分が、進行形の中での現状で「これが全てです」「僕はそれでいいんです」と言えるようになる。

 

失敗や挫折が持つマイナスの要素は本来ないのかもしれない。

 

「全てです」、決してラブソングではないのかもしれない。