たまたま大学時代の先輩と同期が、それぞれ東京に出てきたので三人で久しぶりに集まった。

 

行きつけの「やきとりの名門 秋吉」

やっぱり美味い。まぁ、それぞれよくしゃべる。呼吸しないでしゃべっているんじゃないか。

 

 

みないわゆる部下を持つ立場。とくに二十代の若い人たちの感覚に同じように戸惑っている。

 

我々が生きた時代の感覚、方法が染みついているし、無意識にその”基準”を若い彼、彼女たち当てはめて、”違う”と思う。とはいえ、”違う”と言い切ってよし、とはしていない。暗中模索している。

 

真向から”違う”を当てはめたら、あからさまな反発が起きたり、心を閉ざす。

 

具体的なことはないけれど、”彼ら、彼女らが生きてきた時代のなかで、彼ら、彼女らなりの閉塞感やストレスを抱えているのだろう”という漠然的ながらも、ベースはそう理解する、分かっているぞとサインを送る。

 

そこから関係が始まると、少し分かってきたような気がする。

 

そのうえで、昔から言われていること「いいところを見てあげる」「やったことを称えてあげる」―そうした、人を伸ばす原則みたいなことがとても大切だと改めて思う…そんなことを真面目に語った秋吉での一席。