小春日和を通り越して春そのもののような温かさ。

家庭の事情で有給休暇を取って、朝から忙しく動いた。

 

ふと松山千春の「春になれば」(未発表曲)が聴きたくなって、収録されているCDを探した。

 

1979年6月9日と翌週16日の2週にわたりFM東京 「ひとつぶの青春」で、1979年4月14日、東京厚生年金会館(当時)で開催された松山千春コンサートツアー「生きがい」の模様を流した。 

 

16日の放送で流した音源(上記コンサートの二部)の中に、弾き語りで「春になれば」が入っている。そのギター奏法自体は決して高度ではないけれど、ベースランニングを取り入れ、現在より何倍も上手く弾いている。当時の弾き語りに感じる、巧拙ではなく、松山千春の感情がギターにも乗り移ったような感覚。

 

 

夢野旅人さんのDBによると―

アルバム『空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように』。
音楽雑誌等における広告の収録曲には、「卒業」ではなく「春になれば」となっている。当時、スタジオ録音はされていた可能性は残っています。

 

放送では、「春になれば」の前のトークも収録されている。

 

春というのは受験なんかが終わり、春が来て、ほっとするじゃない。

俺もそういう経験なかったわけではないけど、やっぱりほっとするな。なんかひとつやり終えた時ってのは。とくに春なんかもっともっとひと息ついてもいいんじゃないかなと思うけどね。なんかこう、肩いからせていつも警戒心ばっかりで。そんな感じでは続かないもんな。時々どっかでひと息入れるってのは大事だと…。

 

要するに”春にはすこしゆっくりしてもいいんじゃないの?”と、当たり前と言えば当たり前のことを言っているのだが、「そうか!分かったよ、千春!俺もゆっくりするよ」…松山千春を300%全身全霊で受け入れていた中学時代、こういうトークも”人生の指針”のように聞いていた。

 

ともあれ、少しゆっくりだらっとしたくなる温かな日の昼下がり。「春になれば」…なかなかいい歌だと。

 

残っていないだろうけど、この頃から1981年ツアー「時代をこえて」頃までの当時のライブ映像、今になってこそ観てみたいと。

 

 

長い冬の終わりだと

心の底まで南風

春になれば 少しだけ

うとうとしても いいだろうか

 

きっと野に咲く草花が

僕のために布団ひいて

空を駆ける鳥たちも

僕のために 子守歌

 

止まることない 時の中で

自分を見失うなんて 嫌だからね

 

 

久しぶりだね こんな気持ち

心の底から笑えるなんて

春になればほんの少し

うとうとしても いいだろうか

 

止まることない 時の中で
自分を見失うなんて 嫌だからね

 

止まることない 時の中で
自分を見失うなんて 嫌だからね

 

 

※ラジオ情報は夢野旅人さんDBより