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<2020.1.18>
 

松山千春「Champ Never Die」

 

 

1999年8月リリースのアルバム『ガリレオ』の6曲目

 

 

同年1月に逝去した、松山千春が長く親交があった故・ジャイアント馬場さんを歌っている。

 

馬場さんの闘病は近しいごく一部の数名の方々にしか伝えていなかったと言われているので、この歌を作ったのは馬場さんが逝去されてからかもしれない。

もしそうだとすると、追悼の意味もあるのだろうけど、むしろ馬場さんを永く顕彰し留めるための馬場さんへのテーマ曲的な色合いが強いように思う。

 

松山千春に関するテレビ番組の中で馬場さんが松山千春について親しみを込めて「(松山千春は)ほんとに生意気だよ。あの生意気さがいいんだよ」(要旨)と語っていて、馬場さんの懐の深さを感じた。

 

 

松山千春は同じくプロレスラーの小橋健太さんとも親交があるが、2006年腎臓がんを患った小橋さんに送ってもいいような曲。

 

ちなみに、いわゆる当時のプロレスラーでは、私と同じ高校出身の故・ジャンボ鶴田さん、さらには故・三沢光晴さんは強かった。

とくにジャンボ鶴田さんは、その後隆盛を極めた総合格闘技の世界の中に入ってもあのまま充分強かったと思う。馬場さんの弟子たちは、闘いに勝つことに加えて、むしろそう簡単には負けない強さ、鍛錬があったように思う。

 

1999年、私の父が舌癌を患い闘病している時にこの曲がリリースされ、この曲、このアルバムを聴きながら、頻繁に山梨の病院に通い闘ったのが財産になっている。

 

父を絶対に死なせない―約3か月間、その気持ちだけで東京から頻繁に山梨県甲府市にある病院に通い、父を励まし、妹をカバーした。精神的にも体力的にも辛くなった時期があったが、「戦いはこれから 最後の力をふりしぼり」…この歌がいつも支えてくれた。

 

父は、主治医が医学界誌に事例として掲載させて欲しいと言われるほど見事な快復を見せて3か月で退院。入院前、父と妹と私の三人で「何が何でも治して3か月で自宅に帰る」決意のとおりになった。

 

その後父は20年間生きて、2019年に亡くなった。

 

 

先週(2019年末)、いつも一緒にライブをやる60歳の先輩から連絡があった。

 

「胃がん第4ステージ。周辺臓器にも転移しているらしい。何もしなければ余命半年、と言われた。治療しても余命一年らしい」

 

ショックで言葉を失った。すぐに先輩宅に行った。痛みなどの自覚症状はなく、見た限りではこれまでとまったく変わらない。

 

「治療してもしなくても一年以内に死ぬんなら、苦しい抗がん剤治療などはしなくていいかって思うんだよね」

 

「そんなことは絶対にありませんよ。まだまだ。あと20年は生きましょう。また年末には、来年もライブやりましょう。私たちも応援しますから」

 

その後、先輩は胃をほとんど切除したもののがんを乗り越えた。あれから3年、今のところ転移、再発はなく、去年、2022年12月18日、3年ぶりにみなで集まりライブを開催した。

 

「戦いはこれからさ 最後の力をふりしぼり」

「最後までわからない 生命の全てを燃えつくせ」 

 

人生いつだって戦いは今この時であり、いつもこれから。人生、最後の最後までどうなるか分からない。

 

現状を嘆き、ふさぎ込み、人と環境を恨んで何になる。今を生きる。自分の生命の炎を燃やし続け、笑顔で生きていきたい。

 

Champ Never Die
(ORIGINAL)

 

立ち上がれ君は希望の星さ

もう一度強く強く
キャンパスに落ちた涙と汗と

鮮血が生きる証し

戦いはこれからさ

最後の力ふりしぼり
Champ Never Die

Champ Never Die


いくつもの奇跡与えてくれた

 伝説の君よ君よ
降り注ぐ 熱いライトの中で

舞い上がれ 高く高く

最後までわからない

生命の全てを燃えつくせ

Champ Never Die

Champ Never Die
Champ Never Die

 

Champ Never Die
(弾き語りLIVE)