文豪・吉川英治は大作「新・平家物語」の最終16巻(講談社 吉川英治文庫62版/1991年4月第四刷)で、”人間の愚”を踏まぬよう、義経に語らせている。

 

源義経最期の場面、武蔵坊弁慶など生死の境を共に生きぬいて来た弟子たちへの遺言として語る。

 

「復讐の瞋恚(しんい:原文読み)だけは、燃やすなよ。結果は、業の輪廻と、血の歯車を、地上に繰り返すにすぎぬ。保元、平治、それ以降もつづいて来た、人と人との殺しあい、憎しみあい、あれを振り返れば、その愚がわかる。(中略)

 

一人を幸福にしたい気もちも、人すべての幸福を願う祈りも、おなじ善意につながってこそ世に平和は成就されるものと信じるからだ。まして、これから先、お汝(こと)たちが、旧主の怨みをはらさんなどという考えを起こしたら、義経の最期は、無残、犬死にとなるだろう。こんぱくは宙に迷うぞ。末始終、義経が世へ祈るところを、お汝らもまた、祈りとしていきてくれい」

 

松山千春は「僕が恐れるのは 戦車ではなく 何度もくり返す 人の心」(「兵士の詩」)と歌った。

 

長渕剛は「ほら また戦争かい 戦争に人道(みち)などありゃしねぇ 戦争に正義もくそもありゃしねぇ」(「静かなるアフガン」)と歌った。

 

過去に学ばず、いや、過去に起こったことの本質を掴み見つめることが結局できていないのだろうか。自分が考える正義だけを振りかざし、やられたらやり返す―報復合戦は引き際を知らず泥沼化し、世界をひたすら破滅に追いやる。過去、そうだったはず。

 

イギリス、フランス、ドイツはアメリカにもイランにも自制を求める。中国、ロシアは直接的ではないにしてもイランを支援するだろうと言われている。日本はどういうスタンスをとるのか。当然ながら、アメリカとイラン二国だけの問題ではなく、世界全体を巻き込んでいく。

 

自国のみ優位。とかく世界を分断することが大好きな、自らの再選も意識するリーダーに”自分を見つめよ。変われよ”と望むべくもない。国民の賢明な判断を待つほかない。

 

このいざこざが早く鎮まるよう。既にどれほどの犠牲者が出ているか、まだ正確な情報はないようだが、とにかく犠牲者が出ませんように。