展開中の全国ツアーのネタバレ記載あり
現在展開中の松山千春コンサートツアー2019「かたすみで」
これまで終了した公演のうちいくつかで、恩師・竹田健二さんとの思い出を語り「旅立ち」を歌っている。
東京公演2日目にはあったが、私が参加した東京公演初日にはそれがなく、残念だった。
こういった場面でのトーク内容はこれまでとは大きく違いはないだろう。
同じ内容だったとしても、松山千春は40年間変わらぬ思いで語る。何度も語る。
そこに松山の恩師に対するはかり知れない感謝が溢れている。
ちょうど一年前の今日、同じことを書いていたので以下セルフリブログ。
~2018年11月22日書いた記事(一部加筆)~
松山千春コンサート・ツアー2018「ことば」
私が参加したのは、11月14日、東京公演2日目。@東京国際フォーラム。
松山が竹田さんと初めて出逢った昭和50年のフォーク音楽祭から話しを起こし、STVラジオでの「ひとり唄」~デビュー~初のコンサート、そして昭和52年8月27日、竹田さん急逝までを語った。
「泣いてばかりいて、あの日の函館公演で何を歌ったか覚えていない。全てはここから始まりました」
と語り、「旅立ち」を歌った。
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2013年5月14日、 東京国際フォーラムの2日目。
この日、松山千春の幼馴染みの柚原良生(ゆはら よしたか)さんが客席にいた。
彼が来ていることから、1回目のアンコールでは弾き語りで「良生ちゃんとポプラ並木」を歌った。
2回目のアンコール。「流浪」のイントロが流れ、緞帳が上がった。
ピアノの演奏が流れる中、松山が語り始めた。
「良生、俺のうちは、金がなくてな。母ちゃんは土方だし、父さんは好きな新聞作ってたし・・・。小学校、何年の時だっけな。お前の家に行って、ギターを初めて触って、弾いて。
これが、エーマイナー(Am)、デーマイナー(Dm)だ。
あれから始まったんだよ。あれから始まって、こんなにたくさんの人が俺の歌を聴いてくれるんだよ。お前たちは最高だよ。”イーマイナー(Em)”」
その後歌った「旅立ち」。
こういうトークから歌への繋ぎは、何回聴いてもいい。何回聴いてもいつも心に染みる。
松山千春の良さが前面に出ている。
いつも思うし、何度も書いてきた。
自分がどんなに成功しようが、何歳になろうが、自分を世に出してくれた人ヘの恩を絶対に忘れない。言ってみれば「師匠」を、いつまでも大切にし、感謝を奉げ続ける。
お笑い芸人と言っていいのだろうか、ダンカン。
彼が自身のブログに、師匠の立川談志氏のことを綴っている。
談志師匠は永遠なんです。
談志師匠は永遠なんです。
(立川談志師匠は)噺家の命より大事な声帯を失い、こんなクソみたいなオレにそんな姿を見せたくないはずなのに・・ベッドに横になりながら会ってくれて、筆談で「子どもは元気か?」「たけしに迷惑かけるな!力になれよ!」と紙に書いてくれた師匠・・(オレ取り乱して喋れるのに文字で答えようとしちまったしもう涙でオレ訳が分からなくなっていたんです)
ありがた過ぎた師匠・・・
師匠がいなかったら、オレはここにいなかっただろうからやっぱりオレの心の中では永遠に生き続けている師匠・・・
会い難き人との出会いは人生を大きく変える。
この人がいてくださったから、今の自分がある―胸を張ってそう言える師匠を持つことはどれほど有り難く、幸せなことか。
どれほど自分の人生を豊かにすることか