<2023.5.29再掲>
<2023.1.15 ILで公式音源、楽譜写真挿入>
<2019.11.9記事>
残された現役社会人としての時間を推し量りつつ、言葉にならない不安や臆病、それを消し飛ばすほどの改めての決意と勇気、さらにその先の人生を思ったり…、そんな年頃か。
今朝、弾き語ってみた松山千春「私の明日には」
1980年11月リリースのアルバム『木枯しに抱かれて』のA面5曲目。
(LPインナー/歌詞ブックレットに書かれている楽譜)
これもひっそりと、忘れ去られたように存在している地味な曲か?…個人的には、歌詞内容、メロディ、スケールの大きさなど、初期の松山千春を象徴するような名曲だと思っているが。
『時代をこえて』頃までのアルバムはアコースティックギターの音がよく響く。アレンジで意識的にその音を前面に出しているようにも思う。この曲のアコースティックギターは笛吹利明氏。
「私の明日には 私の明日には」
「この先何が私を待つの」と繰り返し熱唱する「今、失われたものを求めて」(1983年)と似た雰囲気の、希望とも不安とも受け取れるサビでの同じ言葉の繰り返し。
「もがき回るために、迷い戸惑うために、今日まで歩いたわけじゃない」と、気持ちをしっかり持ち、未来をしかと見つめる力強さが根底にはある。
自分に起こることすべてに意味がある。どういう経路を辿り、どれほど時間がかかるか分からないけれど、自分が決めて、願い祈ったことは必ずかなう。今のこの苦境は必ず開(ひら)けていく。必ず事態は変わる。
自分の中に存在するその確信こそを「希望」と言うのだろう。
「私の明日には 私の明日には」希望がある。
そう聴き取っている。
どなたかがYoutubeに登載された松山千春CM集の34秒時点から、アルバム『木枯しに抱かれて』のPR映像のBGMに「私の明日には」のさびの部分が使われている。
夢野旅人さんのDBによると、ライブではまだ一度も歌われていない。
公演ラストでもマッチすると思うが、歌うとすればやぱり二部ラストかな。二部ラストながら、公演ラストのように魂込めて歌い上げたら、むしろアンコールがより引き締まるかもしれない。
来週13日の東京公演で歌うことは絶対にないにしても、より早い段階で、ぜひともライブで聴きたいと願っている。
深くため息ついてみたら
つくり話にあきていた
深くまぶたを閉じてみたら
眠れぬ自分に気がついた
暗い闇のその中で もがき回るために
今日まで歩いたわけじゃない
今日まで生きたわけじゃない
私の明日には 私の明日には
遠く後ろを向いてみたら
隠しきれない悲しみが
遠く後ろを向いてみたら
戻れぬ自分に気がついた
長い旅路のその中で 迷い戸惑うために
今日まで歩いたわけじゃない
今日まで生きたわけじゃない
私の明日には 私の明日には
私の明日には 私の明日には