昨日行われた第25回参議院議員選挙。
総務省は選挙区の投票率が48.80%だったと発表した。
国政選挙(補選を除く)の投票率が5割を切るのは戦後2回目で、自社さ政権、村山内閣の時の1995年参院選の44.52%に次ぐ低さという。
大雨の影響により、九州での投票率低下が目立った。また今年は統一地方選と参院選が重なる12年に1度の「亥(い)年選挙」で、選挙疲れが低投票率につながった可能性も指摘する声がある。
ちなみに3年前(2016年)の第24回参議院議員選挙選挙区の投票率は54.70%、6年前(2013年)の第23回選挙の投票率は52.61%。その前の第22回(2010年)選挙では57.92%。
前回微増だったものの、流れは減少傾向。
社会情勢や有権者の構成などの違いはあるものの、選挙離れ、政治離れは進む。
無関心層もそれなりにいるだろう。
意思表示する。投票する。小さな声をひとつひとつ積み上げるしかない。
7月18日に起きた京都アニメーション放火事件。
何ものにも変え難い尊いひとりひとりの命、34名ものその命を奪う。安否不明の方もいる。それぞれの方にご家族、友人がいらっしゃる。
悲しみ、怒り…言葉にできない重たい複雑な気持ちが心の真ん中に居座る。
7月20日読売新聞のコラム「編集手帳」に同じ気持ちを感じた。
植物学者の大賀一郎博士は、ハスが開花するとき音を立てるかどうか、東京・不忍池の実験で論争に決着をつけたことで知られている。石川啄木の詩や正岡子規の俳句に蓮が咲く時に音を立てることが詠われているため、それを確かめたかったそうだ。実際は何も聞こえなかった。
「編集手帳」は言う。「文学者のロマンは打ち砕かれたものの、静かな咲き方もそれはそれで奥ゆかしく興趣を妨げるものではない」
さらに続ける。
「週末の当欄はなるべく穏やかな話題にするよう努めている。とはいえ、きょうは無理をしたかもしれない。気持ちを奪われる事件がある。容疑者への憤りを口汚い言葉を使わず、書く自信がなかったので」
言葉が出ないほど残酷な事件であっても、大新聞のコラムで感情に任せた文章は書けない。放火犯への怒りを抑えに抑えて書きながら、蓮開花に絡めて詩情あふれるコラムに仕上げている。
こういう犯罪を無くす特効薬的な方法はない。原因は人間の生命に巣くう負の傾向性から来る悪行であるならば、制度として厳罰化したところで抑止にはならない。
せめて自分がいる場所で、自分が繋がっている人たちの中で、生命を慈しむ世界を作り広げていくしかない。
意識あるひとりひとりがそれを広げていって、点から線にそして面にしていくしかない。
どうか人々の日々が安穏でありますように。世界が平和でありますよう。
松山千春も2010年リリースの「決意」(アルバム『ずうっと一緒』収録)で歌う。
力強い歌詞と瀬尾一三氏の重厚なアレンジによって、歌から大きな力が伝わる。
世の中を取り戻すために、今の世の中を嘆いている暇はない。
ひとつふたつと愛と夢を集めて、やがて大きな勇気と希望に変えていくことに挑戦する僕らは決してチッポケな奴らじゃないし、愚か者でもない。
ひとつふたつと心を集めて、やがて大きな目的へとたどり着こうと挑戦する僕らは決して弱虫じゃない。
僕等生きている 世の中を嘆いても
時は止まらない 一瞬のまばたきさ
ひとつふたつと 愛を集めて
やがて大きな 勇気に変えて行く
僕等そんなにも チッポケな奴等じゃない
誰が悪いのか 正義とは何なのか
いつか見きわめる 泣き寝入りしちゃダメさ
ひとつふたつと 夢を集めて
やがて大きな 希望に変えて行く
僕等そんなにも 愚か者じゃないからね
アー何故に アー人は
僕等生きている 世の中を取り戻す
時をのがさずに 失敗を恐れずに
ひとつふたつと 心集めて
やがて確かな 目的を目指して
僕等そんなにも 弱虫なんかじゃないさ
アー何故に アー人は