<2024.07.31>公式Audio挿入
<2021.10.20>記事

 

 

2021年10月17日放送の「松山千春 ON THE RADIO」

 

コンサート・ツアーの移動中、自身がかつてリリースした曲を聴いていると言っていた。

 

その中で、これは、と思った「逢いたくて」(1997年)を番組の中でかけた後、「バラード」について以下[(31分48秒時点から)]のとおり語り、再び「バラード」をかけた。

 

同番組の中で「バラード」は結構な頻度でかけている。今年1月31日には弾き語りで歌っていたし、去年の4月26日にも番組の中で歌っている。

個人的に大好きな曲なので何度聴いても歌の世界に入り込めるが、松山千春が自身の過去の曲を聴いて「いいなぁ」と思う曲が、いつ聴き直したとしてもほぼ固定化している。まぁ、全部自分で作っている以上、手ごたえとして、それが自然なのかなとも思う。

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(31分48秒時点から)
 

「逢いたくて」という曲を聴いていただきました。私、もう何回か前だな?”俺は女性とデュエットした曲はありません”とか言ってたんだけど、強いて挙げればこの「逢いたくて」だな。デュエットと言えばデュエットなんだけど、あの子、声よかったんだ。じゃどこが悪かった?(笑)って話だよな。(中略)いい声してるなぁ。俺みたいな声だけど合わせてくれるか?みたいなね。こっちは下から、下からですからねぇ。

 

そうやって考えたら、いわゆる飛行機に乗る時間が多くなってくるわな。乗ってる間ってさ、やることもないから、自分の数々のCD、最初の頃からな、もしかしたらコンサートで急にやるかもしれないし。ずうっと聴いてたら、この「逢いたくて」が聴こえてきて、”あっ、これ女の子と一緒に歌ってんじゃん”みたいなな。

 

そして、まあ、次の曲はね、そんな中で、ああこの曲、いい曲だなぁ…。「バラード」という曲なんですけど。ただこれすごい、何て言うんだ?演奏が静かなんですよ。そしてほんとにバラードですから、ゆっくりした曲なんですよ。

 

いわゆるラジオで、おかけするには不似合いな曲なんですけど、ほんとに耳をすませてじっと聴いていただければ、この曲の良さがしっかりと伝わると思います。また詞が、ほんとに、若い時に作った曲ですけど、いいなぁ~、って思います。

 

松山千春「バラード」
 

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<2021.05.31>弾き語り音源挿入

 

2021年1月31日の「松山千春 ONT HE RADIO」で、弾き語りで「バラード」を歌った。

 

歌う前に語っていた。

 

今回歌う曲は「バラード」という曲です。コンサートで、何度か、歌ったこともありますし、実を言うと自分、大好きな歌で。これを歌っていると涙が出て来るぐらい…。
男と女がそれぞれの思いを、語り合うというか、ちょっと二人の関係があやしいなぁみたいな感じな時に、女はこんなふうに思い、男はこんなふうに思い…「バラード」

 

(「バラード」弾き語り/2021年1月31日)

 

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<2019.5.19記事>

 

注意現在(2019年)展開中のツアーに関する記載あり注意

 

 

今夜(2019年5月19日)の「松山千春 ON THE RADIO」

5月16日、17日の東京国際フォーラム公演について自身の感想を語った。

 

「東京2日間、充実したコンサートだった。楽しかった。お客さんのノリも抜群で、俺も客席に入って歌ったりして。5,000人が一体になった。2階席の皆さん、ステージが遠いのに最後まで盛り上げてくださった。歌い甲斐のある2日間でした」

 

「東京2日目(17日)では、少し曲を変えた。メンバーに無理を言って『バラード』を歌った。自分が作った歌なんだけど、自分自身が歌の世界に入り込んだ。酔いしれてしまった」

 

と語り、番組のラストにその「バラード」をかけた。

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私は17日に参加したが、ここ2、3年では一番の、素晴らしいライブだった。

1部6曲目で歌った「バラード」

 

1989年アルバム『STANCE』6曲目収録。

 

 

これまでのライブで何度も聴いているが、もともと大好きな歌、突如歌われた感があり、感動した。この日のライブは「バラード」と「帰りたい」が聴けてよかった。

 

全体としてマイルドな歌いまわし、最後は松山千春の世界で歌い上げる。

 

愛し合う男女。

女性は愛する人と一緒にいること自体が愛おしく、まっすぐに、どんなことがあっても離れないと誓う。

 

男性は女性を見つめながら、きっと女性よりももっと遠い未来を見つめ、希望もあるだろう、不安もあろうだろう、様々な気持ちが入り混じりながらも、その女性の気持ちに応え、ずっと変わらぬ愛を誓う。

 

私としては日常ある男女の恋愛よりももっと深いところでの出会いや絆、愛情、相手への思いを歌から感じ取っている。

 

 

1988年1月中旬。母はナースセンターすぐ前の個室に移った。病状(がん)は悪化をたどる一方。

 

ここまで5か月、気丈に明るく闘病してきた母が初めて、この時だけ取り乱した。

 

「この部屋に移ったということは、私はもう死ぬのね」と泣いた。

 

ベッドの脇にいた父と妹と私。

 

父が母の両肩を抱いて泣きながら叫んだ。

 

「大丈夫だ!安心しろ。必ず治るから!大丈夫だ!」

 

両親の絆、深い愛を見た。死ぬか生きるかの中で、一緒に生きて来た両親の生命が一体となって神々しく輝いていた。

 

理屈を超えた深い深い人間愛を見た。絶対に忘れない。

 

 

まだ若いから あなたへの

愛に素直に生きて行く
長い髪を 短くして

お前は 涙浮かべた


そんなお前に愛だけじゃ

たどりつけない夢もある
淋しいから 言わずにおく

わずかな望み託して


肩を寄せて いつも二人でいようね
きっと 二人だけの 朝が訪れるね


やり直せるわ 何度でも

強い女になれるから
傷ついても 傷ついても

あなたのそば離れない


そんなお前に この僕が

捧げるものは何もない
永遠に変ることない愛

せめてお前に誓おう


肩を寄せて いつも二人でいようね

きっと二人だけの 朝が訪れるね

生きてゆこう 愛を二人で育てて
やがて二人だけの 朝をむかえるまで
朝をむかえるまで

 

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