昨日の「松山千春ON THE RADIO」。
先日の金沢(本多の森ホール)公演に参加したリスナーからのメールを紹介した。
「平成最後に、感動いっぱいの夜を千春さんと一緒過ごすことができた余韻にひたっています。千春さんもよくおっしゃるように、同じ時代、同じ場所で同じ時間を共有できた、この上ない喜びをかみしめています」(要旨)
それに対して松山が応える。
「そうなんですよ。今こうしてラジオを聴いてくださっている皆さん、我々、同じ時代に生まれたんですよ。そして同じように昭和が、平成が、今度は令和が。
この何十年間の間に、二時間半なり三時間、コンサートという形でともに過ごす時間がある。これは、俺の一生の財産です。もちろんこれからも」
今後のコンサートについて
「旭川、帯広、おぅ!東京国際フォーラム。東京、待ってろよ!
そして34年ぶり下関(山口県)。広島、愛媛県は松山。
まだまだ限りなくコンサートは続きますし、また皆と一緒に同じ時間を過ごせるんだなと」
「デビューして40年以上も歌ってるんですからね。そしてこうやってラジオでもしゃべれる、有り難いことです」(トーク順番入れ替え)
こられのトークのまとめとして
「つくづく思ったのは、やっぱり人は一人ではどうにもならない。
誰かと関係を持ちながら、それで初めて生活でき、生きている。誰とも関わり合いがない、そういう人生はあり得ませんから。
そのうえで、周囲と協調性を保つとか、その中で独自のカラーを出していくのでしょう」
(松山の発言は、内容を変えずにブログ用に表現等加筆、修正)
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冒頭のリスナーが言われていたとおりで、こうしたトークは松山がずっと言い続けていること。
自分を育ててくれた恩師、応援してくれるファン、ラジオを聴いてくれる人たち―そういう人たちへの感謝を絶対に忘れない姿勢こそが松山千春だと、ファンと言う立場を除いたとしても(除けないか…)、心からそう思う。
こういう松山の思いが凝縮された歌の代表みたいなものが「TOUR」だと思うし、それをかけるかな?と一人期待してしまった。
私も同じ時代に生きていることに感謝できる人がいる。
「この人の話しを、いつまでも聞いていたい」(同じ時間を過ごしたい)と思う人がいる。
親も、自分の家族もそうだろう。
縁起(「縁りて起こる」)という考え方は、上の松山のトークを端的に表す言葉だろう。
人も自然も、すべてのものがお互い縁し合って存在し、生きている。決して人間だけが、自分だけが、偉そうに一人で生きているのではない。
今自分がここにいることに感謝し、自分の周囲にあるものすべてに敬意を持ちながら生きる。
比較ではなく、きっとそれは豊かで、絶対的に幸せな人生だろうと思う。
今後のコンサートについてのトークの中で「おぅ!東京国際フォーラム。東京、待ってろよ!」と語った。最後の「!」がついていたかどうかは分からないが、私も来週の国際フォーラムに参加することもあってか、それぐらい力を入れて語ったと感じた(のは、私だけかな)。
友人の皆さん、ブログでつながっている皆さんも多く参加される。
いろんな意味で本当に楽しみである。
いつまで いつまで いつまで
歌っていられるの
一度も 一度も 一度も
考えたことはない
振り向けば こんなにも 歩いていたのか
せめて明日も 素直に 唯 歌いたい
はるかに はるかに はるかに
答えは まだ見えず
この道 この道 この道
どこまで続くのか
旅先でめぐり逢う 優しき人達
どうか貴方の 人生に 幸多かれと
私は歌う 愛の歌
私は歌う 人間として
いつかは いつかは いつかは
さよならする時が
それまで それまで それまで
歌っていられたら
かけがえのない日々に 願いをこめて
どうぞ この世が 平和でありますように
私は歌う 愛の歌
私は歌う 人間として