帰宅して、2月に逝去した父の笑顔の写真を見るたびに、父へのこの上ない感謝の気持ちが湧いてくる。同時に、31年前の3月に逝去した母の笑顔と明るい声が届く。
ともあれ、今こうして自分がやりたい道に生きている。父と母のもとに生まれてよかった。
一日に何回も両親に感謝を捧げる日々である。
1986年の4月、山梨から出てきて東京の大学に入学した。
母と妹の笑顔に見送られて、父が運転する軽トラックに荷物を積んで東京のアパートに向かった。
大学時代、頻繁に帰省した記憶はないが、帰省する時は本当に楽しみだった。お金がないので、特急には乗らず中央本線の各駅停車で帰省した。
東京の高尾を越え、神奈川の一角を抜けると山梨の山々が見えてくる。山々しか見えてこない。長い笹子トンネルを抜けると左側の眼下に見えるふるさとの街。
松山千春「走れ夜汽車」。1978年リリースのアルバム『こんな夜は』のA面4曲目。
デビュー前、STVラジオで「千春のひとり唄」出演のために札幌に通っていた頃、札幌から足寄に向かい、足寄が近くなって来た時の心情を歌ったと、自伝「足寄より」に残している。
1983年6月、山梨県民文化ホール。ツアー「今、失われたものを求めて」。弾き語りで聴いたこの曲は今も響いている。
デビュー10周年記念アルバム『あなたが僕を捜す時』に収録された「東へ向かう」も同じシチュエーション。2曲とも松山千春が、自分の原点を確認するように歌っているのだろう。
ちょうど風が春の匂いを運んでくるこの時期になると思い出す。
「走れ夜汽車」「東へ向かう」。父と母の笑顔、声。あの時の家族の明るい食卓。
あれから33年。
所要時間がやけに短くなった。ドライヤーで髪をセットしながら「かなり白髪が増えたな。薄くなったな」と独り言を言いながら、鏡に映る自分の姿に時の流れを感じつつ、鏡に映る自分に「頑張りな」と声かけ、「自信ならある」と答えた51歳、春の日曜日の朝。
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2019.4.7記事
2021.5.26一部加筆・修正/カバー写真差し替え