3月25日の日本経済新聞に、俳人・佐藤 郁良(さとう かおる)さんの句に関する素晴らしいコラムが掲載されていた。いい文書である。

 

若い頃抱いた夢や希望を、可能、不可能に仕分けした時があった。これからもあるだろう。

分岐点に立った時、必死に悩んで決めた道であれば、一見間違えたと思える決断であっても、長い目で見れば一番よい決断だったことが多い。

 

自分で悩み考え、自分で決める道に無駄はないのだと、体感的に判る。

途中から、自分のことをよく理解してくれる人に出会い、その判断を確認することも加わった。

 

西暦だけで時が刻まれていけば、時代の区切りにあれこれ思うこともないのだろう。元号があることで、それほど深く考えないにしても、ふとその時代を振り返る。

 

ちょうど今、元号が持つ不思議な力の影響下、ど真ん中にいる。

 

「平成時代」を卒業しても、生きる上での可能、不可能の仕分けは続く。

自分で悩み考え、自分で決める作業もまた続く。

 

現役の教師でもあるからだろう(春秋) 2019年3月25日  日本経済新聞 


 現役の教師でもあるからだろう。俳人の佐藤郁良さんには、卒業の句がいくつかある。「不可能を辞書に加へて卒業す」もその一つだ。巣立ちの式辞は、若者を励ます言葉に満ちている。でも、何者かになろうと、ある進路を選ぶことは別の可能性を失うことでもある。
▼選ばなかったもう一つの道は、私たちをどこへ導いたのか。それは、永久に分からない。いくつもの曲がり角を一方に折れ、その都度、不可能を辞書に加える。それが大人になる、という営みなのだ。でも、作者は教え子の選択を祝福し、彼らの可能性を信じる。一句の背後にある優しいまなざしが、人々の琴線に触れる。
▼今週は、多くの大学で卒業式が挙行される。現役生ならば、主に1996年に生まれた若者だ。その年、東京大学の吉川弘之総長は「21世紀は理性を大量に必要とする時代。皆さんには大きな役割が課されているはずです」と式辞を読み上げた。その後、世界は不寛容の気分に満ち、人々の理性は後退したようにもみえる。
▼社会に出れば日々、仕事に追われる。成果も求められる。学生時代の理想を、不可能に仕分けする場面もあろう。わが身を省みれば、辞書は不可能で埋め尽くされた感がある。が、古びた辞書の余白にも、新たな道に踏み出す希望がある。佐藤さんの句は、平成時代を卒業する老若男女へのエールでもある、と解釈したい。