<2023.7.19再掲>

<2019.3.21>

 

 

かるく麻酔を打たれたくらいの速さで
僕の夢は深い場所を抜けて行く

心理ゲームのような景色に

放り込まれたようだ
街はどこも罠をかけてるようだった

通りを映すミラーの中では
自分の顔が少し食い違ってる
腕の時計も リズムを無くしかけてる

ここの景色じゃ匿名希望の人達が溢れ
時間ばかりが女の肩を
滑り落ちた肌着のように乱れ進んでる


異邦人を誘う 子供の手に引かれてみる
ひとつも迷わず君の手に任せてみる

「ほらたくさんのいろんな人達が
今日もミスジャッジで

あんなにもめているよ」と
夜明け近くで 子供が笑いかける

ここの景色じゃ匿名希望の人達が溢れ
人を愛することでさえも
ときには生きる弱みに

変えてしまってるらしい Um…

間違えたように囁いてみる
愛の言葉を 呟いてみる

ここの景色じゃ匿名希望の人達が溢れ
馴染めないまま川を渡る
僕の背中を不思議な顔で朝に帰した

 

 

ASKA「ID」。1997年2月リリースのシングル。翌月リリースのアルバム『ONE』にも収録されている(10曲目)。

 

分かると言えば分からない。分からないと言えば、ところどころなんとなく分かるフレーズもある。リリース以来、気に入っている曲ではあるが、歌詞が難解で、これまでブログにその意味を整理しようと試みたが、途中で止めた。

 

「ID」は「Identification」の略で、身分証明、身元確認、身分証明書という意味の他に、周囲への同一化、一体感、さらには同一視という意味もある。

 

現代では、ポピューラナーなところで「ユーザーID」として日常化している。

 

短い間に夢の中に放り込まれてしまったようだ。

雑踏。外国か?見たこともない風景に、会ったことのない人たち。

 

時間のリズムさえなくしかけている不思議な世界。夜明け前なのか?異邦人である自分を誘う子供に手を引かれるままに街を歩いた。

 

子供が笑いかけながら言う。
 

「ほらたくさんのいろんな人達が 今日もミスジャッジで あんなにもめているよ」

 

もめているの?自分には関係がない。

 

ここには匿名希望の人たちばかりがあふれている。無関心にすれ違っていく。

 

”自分はここにいる”と叫んで存在をアピールしてみても誰もまったく気づいていないようだ。

 

一体ここはどこ?いつ?

 

この不思議な世界に同化し帰化ていくのか。

 

90年代に入った頃からだろうか。個のいうものが前面に、そして全面で出始めたのは。その個は、お互い関与しない。決して繋がらないし関係を持ちたがらない。

 

ただ、無関心に多くの個が、大きな集団を形成しているような世情。

 

自分の存在や考えを主張してもかなわず、一方で知らず知らずのうちにそうした社会に自分までもが同一化していくようである。

 

真心、愛情。そうした気持ちさえ陳腐化してしまうような、無機質な世界。

 

リリースされた97年頃からだっただろうか。徐々にインターネットが普及し始める。

多くの個で形成された大きな集団はネット上のバーチャルな世界にまで広がり、匿名希望はハンドルネームとなり、匿名をよいことにとかく感情的で無責任な攻撃、排除が日常的になった。

 

ネット上でそれらが行われるがゆえに、時に本人さえも想像しなかった速さと広がりをもって拡散していく。

 

歌詞の「ここの景色」は「現代」を言い当てているのか。

__

 

ただひたすらCHAGE & ASKAを応援する犬山翔太さんにこの曲の意味を聞いてみた。

親切に教えていただいた。

 

「『ID』は、自分の存在そのものを問いかける難解な曲ですよね。ASKAさんも、この曲の意味について、詳細を語っていないように思います。

夢という設定で、名も知らない人々ばかりの社会に放り込まれた自分を描いていますよね。プロモーションビデオは、わざわざベトナムまで出かけて撮ったそうです。

当時は、1997年でインターネットが世間に浸透しはじめた時期。「ID」という言葉は、今では「ユーザーID」としてネット上に氾濫していますが、当時はまだ一般的な言葉ではありませんでした。


夢の世界という設定にはなっていますが、10年後、20年後に人々が匿名で過激に攻撃し合うネット社会を予見したような歌だと感じています」