田町界隈で仕事。街に同化している東京タワーもなかなかいい。

 

移動中、「レ・ミゼラブル(上)」(ヴィクトル・ユゴ―著/永山篤一訳 角川文庫)、再読了。

 

物語の面白さから娯楽小説とも言われるが、ユゴーは物語を通して残したい思想、考えがあった。むしろそれを残したくてこういう物語を設定したのだろう。

 

「第三部 マリウス」の章

 

「苦しい状況におちいって腐らない人間はほどんどいない。そして運に見放され、不名誉な状態におちいったときを示す、簡潔明瞭な究極の言葉がある。”レ・ミゼラブル”、つまり”ああ無常”という言葉だ。(中略)どん底に落ちたときこそ、大きな救いの手が必要じゃないのか?」

(419㌻)

 

「…試練は運命につながり、運命はいつでも人間を悪にも善にも変えることができた。

  暮らしのなかの地道な闘いのなかで、多くの偉大な行動が生まれる。貧困や差別に苦しめられ、闇に足を取られようとも、地道に踏みとどまる者もいる。誰にも知られず、名声ももたらさず、大げさな歓迎の挨拶がなくても、気高く人目につかない大勝利というものもある。人生、不運、孤独、放棄、貧しさなどは、彼ら英雄たちの闘いの場なのだ。無名な彼らは、ときに有名な英雄たちよりも偉大な場合もある。

 たくましく個性的な性格は、このような環境の下で作られる。(中略)不自由は魂と精神を鍛えてくれる。苦悩は誇りを慰めてくれる。不運は偉大な魂をゆたかにする」

(370㌻)

 

こういうくだりこそがこの小説の画竜点睛。時代を超えて残る理由とも言えるだろう。

 

ナポレオン三世を糾弾し、19年もの亡命生活を余儀なくされても決して妥協することなく闘い続け、その最中に完成させた「レ・ミゼラブル」。

 

ユゴーが自身の経験とそこから紡ぎ出した哲学を受け止め、理解できるだけの経験と懐の深さが訳者にあるか。訳者の腕の見せ所だろう。

 

途中別の本を読んでいたので、読了に時間を要した。

 

下巻が楽しみである。