今夜(2月17日)の松山千春「ON THE RADIO」

 

昭和50年5月、全国フォーク音楽祭に出場し、オリジナルの「旅立ち」と、もう1曲、コピー曲として”風”の「22才の別れ」を歌ったことを語り、同曲をかけた。

 

 

(↑ 2009年9月「南こうせつ サマーピクニックフォーエバー in つま恋」)

 

以下はファンの皆さんの間では周知のエピソードや音源だが、その音楽祭(帯広青少年会館)で、恩師の故・竹田健二さんとの出会いがある。その時の模様を松山が自伝「足寄より」に書き残している。

 

「(前略)

 俺は歌う場所がほしかっただけ。だから、前に落ちた『旅立ち』を性こりもなく歌った。このときの審査員が、STVディレクターの竹田健二さん。フォーク・ビレッジを担当してた。

(中略)

 俺が歌い終わったら、竹田さんの批評は、ひとこと、

「ギターが悪い」

 ギターの悪いのくらいわかってる。高校時代にバイトして買った5千円のやつだもの、いいわけがない。俺は竹田さんに食ってかかったね。

「俺はギターの品評会にきたんじゃないんだ。歌の批評をしてくれ」

 だけど、竹田さんはそれには答えないで

「松山君、コピー曲を歌ってくれ」

 しかたないから、風の“22才の別れ”を歌った」   (同書130~131㌻)

 

後年、30周年ツアーのインターバル映像で、「ギターが悪い」と言ったのは、文句のつけようがない歌唱に対する逆の意味での最大の誉め言葉だった、というナレーションが、竹田さんの言葉として入っていた。

 

とは言え、ほぼ同じ時期の以下の音源を聴く限り、ギターはかなりひどい(苦笑)。

 

この帯広での予選を通過した松山は「札幌の第一次大会」(同書131㌻)に進む。

ここで「足寄より」を歌おうと思ったが、結局「旅立ち」を歌う。歌詞を間違えて、竹田さんから指摘されるシーンがあったことも、同書に書かれている(同書131~132㌻)。

 

Youtubeに以下の音源が登載されているが、これがその時のものだろう。