(2021.5.13記事)
今日(5月13日)配信された長渕剛【Live on Live】の第3弾(以下映像)。
その中で「泣くな、泣くな、そんな事で」を弾き語りで歌っていた。
2分30秒時点から歌い始めている。
__________
(2018.12.15記事)
1993年11月にリリースされた長渕剛14枚目のオリジナルアルバム『Captain of the Ship』。
長渕剛がひとつまた別の世界に行ってしまったような感覚を覚えたアルバム。
「RUN」さえ普通の歌に聴こえるぐらい、アクの強い強烈な曲ばかりが並ぶ。
ウィキペディアによると、オリコンチャートでは1位を獲得し、58万枚も売れていた。
前作が『JAPAN』。まさに長渕全盛期の頃。
このアルバムのツアーは代々木体育館のチケットを取った。ライブで「Captain of the Ship」を聴くのが楽しみだったが、長渕の体調不良で公演中止、チケットは払い戻しとなった。
去年12月31日の鹿児島アリーナ公演のアンコールでは、桜島オールナイトライブ以来の「Captain of the Ship」を歌った。”大人になったキャプテン”のように、まったく違うアレンジで、サイドボーカルをよく効かせて、見事なパフォーマンスだった。
ちなみに、長渕剛ライブにおける「Captain of the Ship」は、松山千春で言えば・・・ん~、それに合う曲が見当たらない。
夢野旅人さんも同じようなことを書いていた記憶があるが、曲の演奏時間などを併せて考えると、たとえば本編ラストもしくはアンコール2(公演ラスト)で、「歩き続ける時」「大空と大地の中で」「時代をこえて」「雪化粧」「凡庸」「明日のために」「大いなる愛よ夢よ」あたりの5曲を、それぞれフルコーラスで、トークを入れずに1曲としてワンセットで歌うようなもの。
「Captain of the Ship」を書くつもりではない。
そのアルバムの2曲目。「泣くな、泣くな、そんな事で」
2017年8月22日、”長渕剛、再始動”と銘打って行われた日本武道館でのライブで、久しぶりに歌われた。あの時、長渕ファンの間でも喜ぶ声が多数上がっていた。
自分自身がもどかしくて、自分自身に嫌気がさして、もっと大きな男になりたいと心底思った。
人や環境のせいにしたところで、どこまでいっても、自分に起こることは結局全部自分の心の反映でしかない。だからせめて他者に対する誠意だけはどこかで持ち続けていたい。
育った環境もまったく違う、それぞれの感情をもった人間が集まった社会の中で、自分が考える筋や道理なんて通用しないことが前提である。
それは分かったうえで、やっぱり共通すると信じる目的観や筋、道理で分かり合いたいと思う。それでも、違うところで話が進み、足元をすくわれるのが社会の常。
泣くな泣くな、たかだかそんなことで。誰だって経験すること。気にするな。
周囲には分かるわけがない…そう思っても、悔しさに涙し眠れぬ夜を過ごす時だってある。
全部放り出したくなる時もある。生きることが嫌になる時だって。
そんな自分の心境に関係なく、今日も朝日が昇る。今日も頑張るしかない。
「そんなに頑張らなくていいよ。お前、じゅうぶん頑張っているよ」―自分をよく知る人が声をかけてくれる。言葉に感謝する。その意味も分かるようになってきた。
It happens a lot. よくあること。気にするな。泣くな、泣くな、たかだかそんなこと。
うらやむほどの男に「俺」なりたくて
みっともねえ真似をずいぶんしてきたさ
だけど良いも悪いも全部自分だから
せめて人の心を決して裏切らぬようにと
筋の通らぬせち辛いこの世の中で
あいつとうまくやっていきたいだけだった
信じる心はバナナのたたき売りみたいに
しおれた花に足をふんづけやがる
泣くな 泣くな たかだかそんな事で
泣くな 泣くな たかだかそんな事で
叩かれ だまされ おまけに追いつめられ
生きる事が嫌になる時くらい 俺にもある
だらしのねえ ひ弱な俺の胸を突き刺せば
力のなさと言いわけが 背中でせせら笑う
わかっちゃいるけど やめられねえ事もあった
だけど生爪(なまづめ)はぎ取るほどの
痛みでもねえ
わかってたまるか 大粒の涙をちぎり捨て
眠れぬ夜に ただひとり酒をかじる
かみしめる口唇から なおさら血がにじむ
だけど容赦なく明日は
俺の頭上にやってくる
泣くな 泣くな たかだかそんな事で
泣くな 泣くな たかだかそんな事で
叩かれ だまされ おまけに追いつめられ
生きる事が嫌になる時くらい 俺にもある
泣くな 泣くな たかだかそんな事で
泣くな 泣くな たかだかそんな事で
叩かれ だまされ おまけに追いつめられ
生きる事が嫌になる時くらい 俺にもある