(語る 人生の贈りもの)さだまさし:10
「兄貴分」からの恩義、忘れない
2018年11月30日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20181130000131.html
■シンガー・ソングライター、小説家 さだまさし
50代終わりで借金を完済。「これでやっと自分の好きな音楽ができると思いましたね」=品田裕美撮影
これまでの人生で、よくやった、と思えるのは借金を返したことぐらい。35億円もよく返せた、よくめげなかったと自分でも思います。
コンサートに逃げ込んだんでしょうね。お客様をおなかいっぱいにして帰さなきゃいけないから、集中してお金のことは考えないログイン前の続き。でもステージを降りると、どうしよう、お金ないなぁって。ずーっと働いて、自分の足を食べているような生活でした。
《1970年代半ば、日本精工会長だった今里広記さんの紹介で鹿内春雄さんと出会う。鹿内さんはニッポン放送副社長などを経て80年にフジテレビ副社長、85年にフジサンケイグループ2代目議長に就任。編成主導の番組制作を進め、88年に亡くなった》
今里さんは長崎県人会長でもあり、孫のようにかわいがってくれて「君は偉大な人に会わないといけない」と。鹿内さんは僕の兄貴分のような存在になり、食事や飲み会に連れて行ってくれました。
映画「長江」を制作後、さだ企画が借金で苦労していると聞いた鹿内さんは、「さだをつぶすな。フジサンケイでフォローするから」と言ってくださったんです。
すごくありがたい話でしたが、僕は「セイ!ヤング」育ちなので、文化放送の信頼する方に事情を説明して仁義を切ったわけです。すると、その方が「1週間、時間をくれ」。そして文化放送が借金を肩代わりしてくださることになった。だから、さだ企画には文化放送の子会社だった時期があるんです。
追い詰められていたとき、「さだをつぶすな」という鹿内さんの一言で会社は救われた。恩義は忘れません。
もう一つ、「一緒に仕事をしたことがないな」と言われたことがありました。
「ミュージックフェアとかで使ってもらってます」と答えたら、「いや、そういうことじゃないんだ」。その後「北の国から」が決まり、直接何も言われなかったけど、「まさし、頑張れよ」というエールかも、とすごくうれしかったですね。
(聞き手・坂本真子)