<2022-9-24再掲>
<2022‐9-21公式音源2本挿入>

2022年9月22日放映の「上田と女が吠える夜」(日テレ系)の中で、2006年4月22日に放映された「メレンゲの気持ち」に松山千春が出演し、弾き語りで「生命」を歌った時の映像が流れた。

_____

<2018-11-15記事>

 

 

すすり泣きが号泣に変わった。

 

年月は覚えていない。松山千春の東京公演がまだ東京厚生年金会館だった頃。

 

私の2列ほど前のご婦人が「生命」が始まったら、小さく泣き始めた。すすり泣き。

この曲と、ご自身の体験がオーバラップされているのだろう、と思った。

 

ところが曲が進むにつれ、すすり泣きがどんどん大きくなって、曲の終盤になったらもう号泣レベル。周囲が曲を聴くのに支障が出てきた。

 

さすがに私も、お気持ちは理解しつつも「ちょっと感情を押さえていただければ…」という言葉を全身で飲み込んで、心の中だけで思った。

 

ライブで「生命」を聴くと、必ずこのシーンが蘇ってくる。

 

松山千春「生命(いのち)」

シングルとして1994年4月発売

 

何度もライブで聴いてきたので、当分いいかな、という気持ちは否めないが、松山千春楽曲の中でも名曲のひとつである。

 

「この子の人生を 見届けられるなら

最後まで見守って あげたいと思うね」

 

このフレーズがすべて。名フレーズだと思う。

 

生命のリズムからすれば、願っても決して実現しないことだが、これこそが親の気持ちそのもの。こうして歌詞にする人は少ないかもしれない。

 

我が子の行く末を見守ってあげたい。理屈抜きの親の願い。

未来を担う多くの子どもたちの未来が明るく、笑顔溢れる日々であって欲しい。

 

 

この子の人生を 見届けられるなら
最後まで見守って あげたいと思うね

おやすみ今日の日は 明日もいい子だね
あどけない寝顔だね 夢見ているのかな

頬寄せて 頬寄せて どうかすこやかな
毎日を 毎日を 与えてくださいね

微笑みも涙も 全てをこの胸に
あざやかにやきつけて しまっておきたいね

いつの日か一人で 歩き始めるのだろう
今はまだ小さな手 幸せつかめるね

頬寄せて 頬寄せて どうかすこやかな
毎日を 毎日を 与えてくださいね

この子の人生を 見届けられるなら
最後まで見守って あげたいと思うね

 

 

この歌詞は男性目線、一面ではそう感じる。

 

私の長女がまだ0歳~1歳頃だった。仕事を抜けて一度帰宅した19:30過ぎ。

その時、妻は全身濡れたまま服も着ないで、赤ちゃんだった長女に服を着せていた。

 

長女を風呂に入れ、長女に服を着せることが第一だったのだろう。申し訳ない、手伝うべき私はいない。当然、妻自身はゆっくり風呂に入れるはずもない。

 

その姿を見て、涙がこぼれそうになった。今も忘れられない、忘れてはいけないシーン。

 

日常生活の中で、夜遅く帰宅して既に眠っている子どもを見て、「どうか健やかに。明日もいい子だね」と、私を含めて、子育ての現実を完全には知らない男性が言うのかもしれない。

 

世のお母さんたちは、休む間もなく一日中、24時間、我が子を守り育てるために、我を顧みず命がけで尽くしている。気持ちが休まる時がない。熟睡なんてあり得ない。

 

その姿はこの上なく尊い。妻に、世のお母さんたちに、心から頭が下がる思いである。そうした生命を慈しむお母さんたちの笑顔溢れる社会こそが、平和な社会なのだろう。

 

お母さんたち、どうか健康で、どうか元気で、どうか笑顔であっていただきたい。

 

「生命」を聴く時、我が子への思いとは別の私の心室には、世のお母さんたちへの感謝の気持ちが溢れている。

 

松山千春―「生命(いのち)」

 

松山千春-「生命(いのち)」(弾き語りライブ音源)