<2018.10.03>起稿

 

(「黄昏」を歌う松山千春

1982年7月札幌真駒内屋外競技場)

 

 

超多忙な毎日。仕事を終えて帰宅する頃、陽が沈みかかって夕焼けが綺麗だったり、夜だったり、はたまた夜中だったり。最近は夜が多い。

 

黄昏時、夕暮れ時に帰宅する時、この季節はキンモクセイの匂いが漂う。とてもいい匂いだし、秋を感じる。今年の夏の”暴暑”はもう遠い昔のようだ。

 

【黄昏】日の暮れかかること。夕暮れ

《古くは「たそかれ」。「誰(た)そ彼(かれ)は」と、人の見分けがつきにくい時分の意》(デジタル大辞林)

 

(同上)

 

松山千春「黄昏」

1982年5月リリースのアルバム『大いなる愛よ夢よ』収録。

 

大いなる愛よ夢よ [12" Analog LP Record]

 

歌詞とメロディにマッチした笛吹利明氏によるアコースティックギターメインのアレンジとギター。このアルバムの中で一番心に響き残っている。

 

いつも思うけど、この曲を聴いた14歳、中学3年の私。

 

14歳で、移りゆく季節を見送るために生まれてきたわけじゃないなんて思っているはずがない。


中学3年で、やり場ない悲しみをかみしめながら、いつかはこの夢をかなえてやろう、などど考えるはずがない。

 

その年齢で、夕暮れ時にため息ついて、自分の人生に灯をともしてなんかいない。

 

もしそうだとしたら、たった14年の間に、想像を絶するような何かがあったに違いない。…ない。

 

なぜこの歌にそれほど感動したのか分からないが、自分自身の嗜好がこういうところに向いているのは確か。

 

いわゆる”暗い歌”にカテゴライズされるのだろうけど、歌詞が伝える心情は、決意。

 

レコードの「黄昏」と、1982年真駒内ライブでのそれとでは、曲に入る時のギターの弾き方(音、アレンジ)が微妙に違う。自分で弾く時には気分によってどちらもあるけど、レコード、真駒内、いずれも笛吹氏のギターが哀愁を漂わせながら響く。

 

松山千春 LIVE 「大いなる愛よ夢よ」~1982.7 札幌・真駒内屋外競技場~

 

2年前(2016年)の日本武道館。弾き語りで聴いた時にも感動した。

 

良くも悪くも2016年8月現在の松山千春が歌う「黄昏」だった。このライブでは「黄昏」と「父さん」が聴けただけでも充分満足だった。

 

松山千春 40周年記念弾き語りライブ 日本武道館 2016.8.8 [Blu-ray]

 

間もなく秋のツアーが始まる。「ことば」は当然としても、松山千春流フォークソングの「です。」と「あの日の僕等」は歌うだろう。

 

その流れで、とくに後者の前後にぜひとも「黄昏」を入れて欲しいと願っている。

 

2018年秋現在の松山千春が歌う「黄昏」、フルバンドで聴いてみたい。

 

「黄昏」(LIVE/1982年7月24日)

 

黄昏せまる頃ため息ひとつ
私の人生に灯りをともす

生きてゆくこととはただそれだけで
悲しいことだと誰かが唄う



幸せ不幸せ振りむくたびに
私のささやかな青春の日よ

なげすててゆくほど心の中は
すさんじゃいないと涙が笑う


移りゆく季節を見送るために
生まれてきたわけじゃないことだけは

やり場ない悲しみかみしめながら
いつかはこの夢かなえてやろう

やり場ない悲しみかみしめながら
いつかはこの夢かなえてやろう

 

 

(2023年10月10日挿入)

 

2021年1月17日の自身のラジオ番組「松山千春 ON THE RADIO」内での弾き語り音源は以下。

 

 

歌う前に次のように語っていた。

「黄昏」っていう曲ね、ほんとに懐かしなぁっていう思いとね、これ詞の中には、頭で「黄昏 せまる頃…」なあ、出てくるんだけど、この時のやっぱりレコーディングの風景がこう頭の中をよぎるのかなぁ。

これ、アレンジしてくれたのが笛吹ちゃん。ねえ、アコースティックギターの笛吹ちゃん。俺いろんなアレンジャーとね、やってますけど。やっぱりギターのアレンジャーとピアノのアレンジャー、いろんなパターンがありますけどね。基本的に俺ギターで曲を作るべ。そうするとギターやってくれてる人がアレンジしてくれると、”ああ、自分でもこのフレーズできそうだなぁ”とかね。

そいういう意味ではね、あの時の、このまだねえ、髪の毛があった頃の自分をね、思い出しながら、歌いましたが。

 

 

2021年5月7日、石川県・本多の森ホールでの「黄昏」映像(松山千春コンサート・ツアー2021春)

 

 

【更新履歴】

<2024.03.14>再掲

<2023.10.10>公式音源、ライブ映像挿入、後段加筆