<2022.11.12 ILで公式音源挿入>
<2018.8.17記事>
さて、消化的振替休日の二日目。酔って昨晩(2018年8月16日)は22:00頃には爆睡していたらしく、今日(同年同月17日)は5:30に爽やかに起床。
起きた時に必ず歌を口ずさむわけではないし、口ずさむを曲を夜のうちに決めているわけではないが、なぜか今朝は松山千春「あ~なただけを あ~いして~ 愛し過ぎてたみた~い…」と口ずさんでいた。
これは「ブルース」という曲。1987年10月25日に発表されたシングル「春夏秋冬」のB面。シングルコレクションアルバム『起承転結Ⅴ』に収録。
深い捉え方はしていない、このリズムとからっとした熱唱系の歌い方が気に入っていて、好きな曲なひとつ。ただ、この歌のタイトルが「ブルース」だったか「ラブソディー」だったか、いつも迷う。
■ブルース 【blues】
四分の四拍子の哀愁を帯びた歌曲。アメリカ黒人に歌われた哀歌。ジャズの音楽的基盤になった。ジャズ用語。 (weblio辞書)
■ラプソディー【rhapsody】
一九世紀にヨーロッパで数多く作曲された自由で幻想的な楽曲。叙事的・民族的な性格のものが多い。狂詩曲。 (大辞林 第三版)
いずれも楽曲の種類、ジャンルを意味している。
ちなみに松山千春が「ラプソディー」というタイトルをつけた意味は分からない。歌詞から意味を探れば”あなたを熱狂的に愛していた、私が輝いていた時代”、その気持ちを徒然なるままに自由に表現したということか。まぁ、意味はともあれ、これも好きな曲。
鳥居直介さんという方が「ブルース」って、何?という論考を2005年12月に出していた。
その中の「悲しさを明るさに乗せて」という章には以下が述べられている。
抑圧された黒人たちが、どん底で産み出した音楽・ブルース。しかし、だからといってそこに単純な「悲しさ」「つらさ」が歌われているわけではありません。それまでの西洋音楽(=クラシック)が表現してきたストレートな「悲哀」とは異質な、力強く、陽気さすらうかがわせるものでした。悲しさと明るさ。我々には対極に思える感情が同居するのがブルースの表現の特徴です。そしてそれこそが、苛酷な状況の中で黒人たちがつかみとった表現手段だったのです。
松山千春「ブルース」。上の論考のような歴史的な深い意味合いを踏まえているわけではなく、単に男女の別れを女性の気持ちから歌う。
歌詞の内容としては決して明るくはない。しかし歌を聴き終わると、どこかからっとした爽やかさと明るささえ漂う。その点では鳥居さんが論じた「ブルース」に共通する点がある、と言えば言える。
もっと根本的な次元で言えば、松山千春の人生が、とくに幼少期が「ブルース」の世界だったようにように思う。
幼少期、貧乏のどん底。しかしそこに家族がいた、家族の愛情があった。生きることへの前向きさと未来への希望があった。そこには「哀しさ」「つらさ」と、「力強さ」「陽気さ」が同居していたのかもしれない。
こうした本来のブルース的な意味を踏まえて、松山千春自身の生い立ちをテーマに「ブルース」という曲を生み出して欲しかったとも思う。
今まであなたに 言わずにいたけど
そんなに素直な女じゃないから
あなたのこと 嫌いになったわけじゃないけど
変わりすぎた自分を 少し もてあましたの
あなたを失う寂しさ 思えば
誰にも言えずに 悩んでいたから
あなただけを見つめて 何も悔いはないけど
変わりすぎた自分を 少し もてあましたの
あなたひとり愛して 愛しすぎてたみたい
変わりすぎた自分を 少し取り戻したい
(松山千春「ブルース」)